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夢や目標を語るべき相手、語ってはいけない相手

夢と目標は明確に区別できるのだが、それについてはまた機会を改めるとして、ここでは、輝く自分の未来についてのコトとしてひっくるめて扱う。

結論を先に行ってしまえば、語るべき相手は応援してくれる人であり、語ってはいけない相手は足を引っ張る人である。

身も蓋もない結論だが、肝心なのはその見極めである。

夢や目標よりもっとずっと軽いもの、例えば、探し物をしているとき、そこが職場ならば、圧倒的に声に出すべきである。語るというよりつぶやいたり、時には叫んだりするわけだが。職場で困っている人がいたら、助ける、これは基本である。なぜなら、職場は収入面で紐づく共同体であり、困っている人を助けることによって自分も助かる(消極的に言っても利益を損なわずにすむ)のが、ほとんどであるからだ。そうなっていない、ギスギスした職場もあるかもしれないが、長続きしないであろう。長続きしないのは、そこにいる職員個人なのか職場全体なのかはわからないが。

職場で夢や目標を語るとき、それが個人的なものならば、足を引っ張られる可能性はある。あなたの出世は、その他の人の出世を阻むことになるかもしれないからだ。職場全体の未来の大きな夢や業績に関する目標は、職員を一致団結させる可能性が高い。「そんなの無理だよ」と足を引っ張る職員も確かにいる。しかし、そういった職員の大半は夢や目標が現実化しそうだという可能性が見えてくると、ちゃんと協力者に変わる。これが職場の良いところだ。最後まで腐った職員がいることもあるが、そういう人はやがてその職場から去っていくことになる。その人に改心の見込みがないならば放っておくことになるだろう。

職場(や学校)以外の人間関係といえば、家族や親戚の血縁関係、それ以外では友人(リアル)、ゆるい友人(ネット)くらいだろうか。なにかの先輩後輩もここでは友人とみなそう。恋人も同様だ。友人は、職場がらみや在籍した学校がらみ、習い事や趣味での知り合い、こういったところだろうか。

身近な人ほど夢や目標を応援してくれそうで、実は足を悪意なく引っ張る可能性が高い。ここが難しいところだ。一番応援してくれそうな人が、一番それに反対したりする。その精神的ダメージは大きい。

私自身、大学受験で、京都に行きたいといったときに、両親に激しく反対され、そのショックは克服するまでに何年も、いや、何十年もかかったかもしれない。

だから、夫婦や親兄弟などには安易に相談してはならない(上記の受験のようにまだ一人前でない子供が親に相談するのは最終的にはやむを得ない)。

たとえば、私が容姿偏差値60以上の女であり、短い時間でお金をたくさん稼ぎたくて、風俗嬢になることを考えたとする。身内に相談したらどうなるか。

身内に風俗経験者がいれば(相談したら実はいたなんて人生の急展開もあれば面白い)親身に相談に乗ってもらえるかもしれないが、可能性は低いだろう。

ポイントはここにある。

夢や目標を語るべき相手は、それについて経験、それも成功体験がある者だ。成功体験があるということは失敗体験もたくさん積んでいるはずである。これが大きい。失敗体験を積んでいるかどうかは、その人が長期的に成功しているかどうかを見ればいい。成功体験といっても一発屋の場合は危険である。再現性がなく、偶然だけで成功している可能性が高いからだ。

風俗嬢として稼ぎたいならば、売れっ子の現役風俗嬢や元売れっ子の退役風俗嬢に話を聞くべきだろう。良い点も悪い点も熟知してることだろう。

熟知していることをすべて洗いざらい教えてもらえるかどうかはまた別問題である。となると、今度はその人に可愛がられるかどうかが問題になってくる。これについてはまた別の話になるので、そこはまた改めたい。

風俗嬢なんて例が極端だ!と怒りだす人がいるかもしれない。何事も極端な例を出した方が真実は浮かびやすいのだ(風俗嬢のことを私がどう考えているかについてはまた改めて。原稿の9割5分は完成している)。古典力学(高校の物理で最初に習うあれだ)でもまずは摩擦がないという極めて極端な例から考える。摩擦がないというのは現実にはあり得ない。それでもそこから考えるのだ。古典力学なんて古風なものを例に出すなとこれまた怒られるかもしれないが、ロケットや人工衛星の軌道計算は今でも古典力学である。アポロ計画で人類が月に行ったとき、湯川秀樹は「本当に正しいんだね。なによりの証明だね」ということを言ったそうである。

仕事関係の夢や目標で、現実的にありそうなのが、起業である。

起業経験のない人に、起業の相談をしては、絶対にいけない。夢や目標を語るのも、危険。

失敗した時のリスクが高いものほど、その経験がない者に語ってはいけない。それも関係が密になればなるほど、心配されるので、後ろ向き発言がどうしても多くなる。

ここにもヒントがある。つまり、関係性が薄い人の方が、責任もないため、応援してくれる可能性が高い。足を引っ張るにしても、軽度だ。もしもひどく反対されるなら、関係性を切ってしまえばいい。これがゆるい関係の強みである。

人は誰でも自分が一番かわいい。自分よりかわいい存在があるとすれば、それは自分の子供であり、孫である。生物の原理・原則を考えればこれは自明の理であり、ここに議論の余地はない。

自分に関係の深い人が、リスクを負って夢や目標を成し遂げようとすること、実は恐怖なのだ。

失敗したときに、自分に降りかかる恐怖。成功したときに、自分が置いて行かれる恐怖。

どちらも怖い。

だから、自分に関係の深い人が、今の世界から飛び出そうとすることに、無意識に反対してしまうのだ。

夢や目標を語る場合は、慎重に。

応援してくれるのは、思わぬ人かもしれない。

追伸:黄色いバラの花言葉、ぜひ、ググってみてください。なんで二面性があるのか、書きながら、ようやく理解した。多分、30年以上かかった。





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