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想像する思いやり

明音が旅立って8年4ヶ月。
この機会に、明音のものを整頓したいなぁと思っていましたが、やっと今日、そのお部屋に踏み入れる覚悟ができました。

正気でやったら多分何も進まないので、明音を想う気持ちは心の奥に持ちながら、(今日は)感情を少しだけ隣に置いて、朝から一気にやりました。


この8年間、明音のものは何一つ捨てられなかった。
例えそれがシリンジの袋であっても、ボロボロになったスポンジであっても、どう見てもゴミでも、明音に関わるものは捨てられなかった。

でも今日、明音が直接身につけていた服やおもちゃや道具、写真や日記などは残して、医療用具の残りや資料などはごっそりお別れすることにしました。

何を触っても何を見ても、明音との思い出が頭をよぎる…
時々ふと、明音の生きていた日々が現実だったのかわからなくなるけど、確かにあった明音との日々を、改めて心に灯す大切な時間でした。


最初の4〜5年は、明音のヘアゴムから髪の毛を見つけては泣き崩れ、明音の服やガーゼの匂いをかいでは気が狂いそうになり、しばらくその部屋にすら入れませんでした。

だけど今は、明音のものを再利用したり(水筒やブラシはいつも使っている)、今回作った自分の部屋に明音のものを持ってきたりして、少しでも自分が生きている間に明音をもっと感じようって思っています。


いま、会いたい人に会えなくて、行きたいところに行けなくて、気軽に外に出られなくて、食べたい物を食べられなくて、医療だけでなく家庭崩壊など、いろんなところが辛くしんどい状態になっています。

いつも虹縁(講演)で伝えていること…
「大切な想いをいま伝えよう」
「我が子を毎日抱きしめてほしい」
「好きなことを思いっきりやってほしい」
そのどれも、今は叶えられない人がたくさんおられます。

だからこそ、元気なうちに、できる時に、
『今日この人生が終わるとしたら』と考えれば
おのずと自分の答えや大切にすべきことが見えてくるんじゃないかなと、今改めて感じています。


そしてもう一つ。
それは全て、こうなる前からそういう人達は(障害だったり、体や心の疾患があったり、生活困窮だったり、虐待だったり、介護だったり…)本当は世の中にたくさんいたということに気づくきっかけにもなりました。

今日、明音のものを整理していて、何十枚もの病状記録や入院記録、感染症を防止するために作っていたいろんなものも出てきて、思い出した気持ちがありました。

写真のマスクも、ノロウィルスや新型インフルエンザなどが流行った時に、明音のものや療育のお友達の分も作っていました。

もしも今、明音が生きていたなら、無症状のキャリア(保菌者)の方が知らずに動いて接触して、わたし達家族が感染して明音に感染したら…という、震えるような恐怖に包まれ、そういう想いの人達のことを考えました。

だからわたしは、他の方を否定するつもりはないけど、自分自身は、ステイホームを続けます。


明音との日々を、久しぶりにたっぷり感じてヘトヘトにはなったけど、スッキリしたお部屋を見て、この時間はちゃんとわたしに与えられた時間だと思えたし、持病のある方や、妊婦さんや、ご高齢の方や、そのご家族を思えば、
『いま仕事も活動も全てなくなったわたしはステイホームしながらできることをすれば良い』
と、はっきりわかりました。

みんなが、いろんな想いでいまを生きていること。
今こそ、想像する思いやりを発揮する時。
みんなが少しずつ想像し、不安を減らせますように。

2020.04.17
こんとも

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