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建築素人には何が見えているか?

最近「建築」という分野にとても興味が出てきた素人が何を感じ、どのように自分の将来の仕事に結びつけていけば良いのか備忘録として振り返りたいと思います。

僕は都内の大学院に通っている24歳のM2です。専攻はUI/UXデザインで、建築など全く興味を持っていませんでした。しかし元カノの影響でまちづくりの面白さに触れ、最近建築に興味を持ち始めた建築素人です。浅学は承知の上で、今の自分なりの考えをまとめたいと思いました。理由は2つあります。自分の考えに対してその分野の人達からフィードバックを貰い、新しい視座を得たいというのが1つ。また、自分の考えがもしかしたら専門家の人たちに少しでも影響を与えられるのではないかというのが1つ。とても稚拙な文章になるかもしれませんが、自分を含めた周囲にどうか良い影響が出ることに想いを馳せながら書いていきたいと思います。


スマートシティをつくる仕事に携わる。これが自分の将来の成し遂げたい夢のひとつです。就職活動をするに当たってこの漠然としていて、そして壮大なスケールの仕事にどのように関わろうかと考えた時、IT企業の側からシステムを提供する側に回りたいなと考えました。この夢を成し遂げられるかは分かりません、しかし少しでも自分がそのスマートシティ形成の一助になりたいと考えています。そのときIT企業側の視点だけでなく、まちづくりの視点や建築の意義などを少しでも学んでおけば、より良いまちづくりをすることが出来ると考えました。

まちづくりに興味を抱かざるを得なくなった一つの記事を紹介します。

その中で特にこの部分は衝撃的でした。今まで自分が学んできたことが全てこの言葉に集約している気さえします。

人間は、日々、何千層にも亘るデザインを経験している。このようにデザインに絡めとられて生きていることの比喩が、蜘蛛の巣だ。蜘蛛は、自らの体内から産み出した糸を使って網を張り、その網=巣に依存した形で生存する。つまり、自分の身体から絞り出したもので構築されたものによって自身の存在が左右される。自らが造り出した存在に、自らの存在が拘束される。

いわば自縄自縛の状態だ。

実は人間とデザインの関係もこれに近い。人間とデザインも互いに互いを縛る関係にある。デザインの結果生じる人工物=アーティファクトとは、人間(の思考)を反映したものであり、いわば鏡像のような存在だ。その鏡像が鋳型になって逆に、人間=ヒューマンという概念を枠付けていく。

そして建築とは元々学問において上位の概念としてあり、MITメディアラボの前身も建築にあると言っていました。デザインと建築の関係は切っても切れない関係であることが分かり、自分の今までの視野の狭さを痛感させられました。と同時に凄い興味が出てきました。ヒューマンインターフェースについて学んできた自分にとって建築とは未知そのもの、分かりやすく言えばザハ・ハディド的な奇抜で、どちらかというとアーティスティックでエゴイスティックな領域だとずっと思っていました。ここで自分の元カノに色々話を聞いてみたりして、まちづくりへのアプローチに建築、交通、土木、都市計画、パブリックスペース、などなど、一口にまちづくりと言っても様々な要素が絡み合っていることを知り、何て複雑極まりない難解なものなんだと圧倒されたのを覚えています。
(ちなみに未だに建築とか土木とかの明確な違いについてはよく分かっておりません。笑 専門性をとことん突き詰めたいと思っているわけではないので、広く浅く自分の興味を広げて行けたら良いなと思っています。)

話が少し脱線しましたが戻すと、僕は人間が気持ちよく自然に振る舞えるようなインターフェースについて学んできました。この経験を活かしつつ建築という大きな枠組みのなかでどのように人間をコントロールしていくのか?みたいなことに非常に興味があります。デザインが人間をコントロールするものであり、それらのおかげで(せいで)人間という概念が良くも(悪くも)定められていくとしたら、これからの未来どのように人間が進化(退化)していくかまで、過去を深く考察し、未来を洞察しなければなりません。そういった情報を収集し自分の中で咀嚼し言語化することがとても重要であると考えています。

ここからはそういったことを踏まえた上で、今自分が興味を持っていることを羅列していきたいと思います。

豊田さんの建築情報学の話はとても興味がありますが、まだ殆ど咀嚼できていません。しかしNianticの理念である「身体性への回帰」、VRで仮想世界に閉じこもるのではなく、ARを用いて現実世界での人の行動を誘発させる仕組み作りなど、どうにか都市にインストールして人を制御できそうな気がします。

一方で「インスタ映え」というパワーワードを求め、若者は様々な場所へ赴き写真に納め、そして満足する。本来の展示という目的からかけ離れていっているこの状態をどう捉えどう修正していくべきかを考える必要は有りそうですが、こういった人の行動を誘発するようなサービスはやはり現実世界を主軸にそこに上手く虚構を織り交ぜている気がします。

やはり軸は現実世界の自分たちの身体性であり、無視することはできません。そういった自己帰属感の強めるアプリやサービスは今後どのように発展していくのだろうかしっかりと考察し洞察する必要があると考えています。

人を現実世界の街に繰り出させる為には、そこの場を良くするといった「従来のまちづくり」の視点は勿論大切なことだと思います。しかし、アプリやサービスの〇〇映えを逆手にとって街を見直してみることも検討されても良いのかなと思ったりもしています。
オープンであれとかクローズドであれとかコミュニティの話は人それぞれであると思うし、尊重されるべきことなので、一概に建築がそれを一挙に解決するのはなかなか難しいですが、アプリやサービスがそこを柔軟に対応できる気がするのです。そういった「まちをよくする」っていう視点ってあって見ても面白いのではないでしょうか?


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