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入院して泣きながら思ったこと

症状が出てから入院するまで

11月30日の早朝4時頃、右脚全体の激痛で目が覚めた。
腰から下、脚全体に耐え難く、叫びだしたいような痛みがあり、まともに歩くことができなかった。
寝ている間に変な姿勢を取り、どこかひねったりしてしまったのかもしれないと思い、1日様子を見てみることにしたが、翌朝早朝、同様に痛みで目が覚めた。痛みは更に悪化していた。
私はリモート勤務かつデスクワークが主の20代で、前日までに激しい運動をしたなどということもなかった。いつも通り過ごしていて突然の症状だった。「右脚全体 痛い」で検索したり、ユビ―で検索したりしたが、まさに自分の症状はこれだ!という病気はヒットしなかった。Google検索上位に出てくるのは整体や整骨院HPへの誘導サイトもしくは整形外科のブログなどだったので、おそらく整形外科管轄の症状なのだろうと判断し近所の整形外科を探した。
しかし周辺に整形外科は少なく、若干診療開始時間が遅かったり休診日だったりした。とにかく早く痛みを止めてほしい一心で診療が早めに始まる病院を探した。電車で20分程度の場所に該当する病院を見つけて受診を決めた。
ひとり暮らしのため周囲に頼れる人がおらず、タクシーより電車のほうが早そうだったので、足を引きずりながら駅まで歩き、通勤ラッシュの電車で移動した。当然ながら座れず、電車の揺れが辛かった。寒い冬の朝、混みあった社内で、人ごみの中を素早く動けず周囲の人に申し訳なかった。

整形外科では診察後「ヘルニアの可能性がある」とのことでレントゲン撮影とMRI検査を受けた。1週間後に検査結果を聞きに再来院することになり、痛み止めを処方され、ウォーターベッドと電気治療のケアを受け帰宅した。自分でAmazon等でコルセットを買うように言われた。

翌日、翌々日と痛みは更に悪化していった。処方薬は全く効かなかった。毎日朝起きるのが怖いくらいだった。ヘルニアの痛みはこんなに辛いのか、自分は本当にヘルニアなのだろうかと疑い、アスクドクターで医師に質問もしてみたが、「ヘルニアによくある症状」との回答を複数の医師から得た。

また検索していくと、ヘルニアは数週間後に痛みが和らいでくるようだった。しばらくは我慢しなければならないと思い、よたよたと近所のドラストでコルセットを買い、痛みに耐えながら数日間仕事をした。

初めに痛みが出てから4日後の夜(12/4)、右脚にぼつぼつと大きな発疹が3つ出ているのに気が付いた。痛みで横になっている時間が増えていたので、布団にダニか何かいるのかもしれないと思った。痛みがきつすぎてほぼ気に留めなかった。

その翌日、痛みが出てから5日後の朝(12/5)、激しい頭痛で目が覚めた。もともと片頭痛持ちで、これから雨でも降るのだろうかと思ったが快晴だった。いつもの頭痛とは全く違っていた。頭の真上、真ん中に尖った石が入っているようで、頭の内側から頭の中を突き刺すように痛んだ。頭を振ったり動かしたりすると耐え難い痛みがあり、何度か嘔吐しかけた。同時に右脚の痛みもあり、予約していた再診日は翌日だったが、とりあえず医者に見せたいと思い同整形外科に行こうとした。だが、頭が痛すぎてまともに動けず、まずは頭痛を直さねばと普段常備している鎮痛剤を飲んで半日ほど休んだ。薬は効かず、以前病院で処方された偏頭痛薬も飲んだが効かなかった。

日付が変わった深夜、頭痛と吐き気と右脚の激痛に悶えつつ、発疹が右脚全体に帯のように数十個増えているのに気が付いた。ここで初めて、自分の症状はヘルニアではないかもしれないと強く思った。脚をよく見ようと首を曲げようとするが、首も痛くて曲げられなくなっていた。やたら目から入ってくる景色や光といった情報をうるさく感じ、目を開けていられなかった。試しに熱を測ってみたら37℃後半だった。コロナだろうか。意識が朦朧として、何度もスマホを床に落とした。救急車を呼んでもいいかもしれないと思ったが、コロナ渦の今、ひっ迫する医療に関するニュースを毎日見ている中で安易に呼ぶのは気が引けた。
#7119に電話したが対象エリア外だった。在宅診療・オンライン診療アプリを数件探したが翌日夜まで埋まってしまっていた。Q助アプリは軽い症状でも救急車を呼びましょう!との回答になってしまうと何かで見たことがあり判断材料にしきれなかった。医療スタッフに電話相談できるアプリがあったのでかけてみたが、判断がつかないため受診は自分で決めるように言われた。再度熱を測ると38℃を超えており、痛みで頭がぼんやりし、もう病院で怒られてもいいやと思い119番した。

電話に出た消防局の方は「足が痛いからって電話したの?」「頭痛も?」「まあ手配はするので待っててください」と怪訝な感じだった。救急車が来るまでに保険証と社用携帯をリュックに放り込んで、玄関を施錠し家の前で到着を待った。しかしそれが救急隊の方に「大丈夫そう」といった印象を与えてしまったのか、到着後一言目に「え、なにしてるの?」と言われ、救急車に乗るやいなや「あなたなんで救急車呼んだの?」と言われてしまった。やはり自分の判断は間違っていたのか、軽症なのに呼んでしまって…と申し訳なかった。車内には複数名の隊員さんがおり、体調を何度も説明したが、「ヘルニアなんでしょう?」「なんで今日病院行かなかったの?」「心電図も全然異常ないし今命にかかわる状態じゃないよ」と言われてしまった。深夜のため病院に医師はいないので病院まで行っても何もならないよ、と何度も家に帰るよう言われ、すみませんでした、それなら帰ります、、と言いかけたときに自分と同じ若い女性の隊員さんが反対してくれた。発疹、首の痛みと、社内で熱が39℃まで上がっていることを挙げ、搬送したほうがいいと主張してくださり、運よく深夜に受け入れてくれる病院もあったことで、結果自宅から車で1分位の総合病院に搬送してもらうことができた。
1:34に119番し、1時間以上を救急車内で過ごし、病院についたのは3時前だった。


病院で数時間かけて様々に検査を行った結果、ついた診断は「髄膜炎」だった。結果数週間入院となった。翌朝は担当科の医師の出勤日で、すぐに診断を出してもらえた。
髄膜炎がどんな病気かもよくわからなかったが、ああ自分はやっぱり何かしらの病気だったんだ、もう一人で悩まなくていいんだ、と心底安堵して、ストレッチャーの上でぼろぼろ泣いてしまった。

入院後思ったこと

①判断や思案、自己管理を他者にゆだねられることのありがたさ
入院前、医師の診察を受けた後も体調が刻々と悪化していき、身体的・精神的に辛くなっていく中で何の病気なのか分からず、素人判断もしづらくとにかく不安だった。
また「どの病院に行く」「何科に行く」「(整形外科の検査結果を待つ状態だったので)何の病気っぽいか」「いつよくなるのか」「自分の症状は軽いほうなのか思いのか」「救急車を呼ぶかどうか」など自分で情報収集したり判断したりすることに体力や時間を割くのが辛かった。
入院後もなかなか体調は戻らなかったが、体調が悪化したとしても、看護師さんやお医者さんなど沢山の病気のプロたちが傍にいてくれることがなにより心強かった。担当医は回診などで定期的に様子を見に来てくれて、看護師さんは食事量、薬をきちんと飲んでいるか、体温など体調面すべてを毎日、数時間おきに確認してくれる。自分の状態のいい悪いを自分で判断する必要がなくなったのが本当にありがたかった。

②衣食住の維持から離れ、体調の回復のみに集中できることのありがたさ
入院前の自宅は家事が完全にできなくなってしまったこともあり、散らかり放題で食事もinゼリー頼みという感じだった。入院後は3食完璧なバランスの食事を決まった時間に出してもらえて、食器の片付けもなく、シャワーやトイレも使うだけで掃除の必要はなく、シーツ交換も定期的にスタッフさんが行ってくれて、もちろん病室では普通のことなのだろうがそれらが本当にありがたかった。暖房完備、電動ベッドと休むことに特化した清潔な環境の中で、体を回復させることを最優先にすることができた。

③当たり前に治療を受けられるありがたさ
入院して2週間、ひたすら点滴につながれながら検査や治療を受けた。継続してしっかり投薬するのが大切な時期と医師に言われた。特にはじめの1週間は記憶がないくらい体調が悪く、一人では歩けず看護師さんに車いすで移動させてもらうこともしばしばあった。痛みが辛くて何度も深夜に痛み止めを打ってもらった。もし今災害や戦争によるインフラストップがあったら自分は耐えられなかっただろう、死んだほうがましと思ったかもしれないと思った。穏やかな環境で思考が壮大に飛んでいたのかもしれないが、昨今の世界情勢の中で、自分を取り巻く環境がいかに恵まれているか痛感した。
また金銭面に関しても、今回の入院にまつわる費用はもしも保険が使えなければ150万円を優に超えてくるが、公的医療保険があることで3割負担となる。高額療養費制度が使えること、傷病手当金で欠勤期間の収入リカバリーがあることにも救われた。

退院後思ったこと

①健康な身体の大切さ
今回の入院で、平凡な日常も健康な身体ありきだと思った。無事に退院することはできたが、頭痛や足の痛みといった症状は残ってしまっており、いつ良くなるのか、何年もこの痛みと付き合うことになるのではないかという不安が毎日ある。朝、痛みで目が覚めるのは入院前と変わらない。発症前後で全く違う人生になってしまったように感じる。
私は美味しいものを食べることと、お散歩することが何より好きなのだが、退院後1週間経っても全くできていない。数分歩くだけで足が内側からズキズキ痛んで上手く歩けなくなってしまう。行きたいお店に行くのも、当然旅行なども厳しそうだ。やりたいことをもっとやっておけばよかった、と思う。

②リスクをできる限り抑える大切さ
今日と同じ明日が来ないかもしれない、なんてことをいつも思い続けるのは不可能だし、そんな必要は全くないが、半年に一回くらいは「もしも」を思い出すことも大事かもしれないと思う。健康診断にしっかり行くこと。なるべく適切な食事、運動、睡眠のもとストレスをためない生活をすること。周辺にかかりつけの病院を見つけておくこと。一定額の貯金をしておくこと。身近にもしもの際に頼れるような人間関係を可能な限りで作っておくこと、そして大変なときに周囲に助けてもらえるような人間であることなど。

おわりに

翌日に退院が決まった夜、一人でお祝いしようと思い売店まで行ってコーラと雪見大福を買いました。激痛が緩和されたこと、ゆっくりでもようやく一人で歩けること、食べたいものが食べられることが嬉しくて、病室でぼろぼろ泣きながら食べました。その時に感じたことをまとめました。一般的な病気に比べればけして大病ではないのですが、自分への備忘録になればと思っています。短い期間でしたが支えてくださったお医者さん、看護師さん、スタッフさんに心から感謝しています。


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