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こんなにうまいビールがあるか
大好きな人と再会をしたときの話をしたい。
その人は同じ会社ではないものの、何年も現場をご一緒した男性だ。
四年振りだった。
最後に会ったのは、私がうつ病真っただ中のとき。
その人は、豪快で、甲斐性があって、途方もなく愛に溢れていて、選ぶ言葉が繊細で、よく「善悪とかどうでもいいから、みんな笑顔でいなきゃいけないよ」と口にする。会った日も似たようなことを言っていた。敵も多ければ、味方も多い。そんな人。いつも半パンで、サングラスをかけているもじゃもじゃ頭の長身だ。
うつ病になって、 家から一人で出られなかったときには、一週間に一回、段ボールにいっぱいの食料品を送りつけてくれた。それもスーパーで買ったものではなくて、名古屋から味噌煮込みうどんとか、福岡からもつ鍋とか、自分が気に入ってるものをわざわざ取り寄せてくれた。食べたかなという頃に「あれ食ったか?美味いだろ?」ってそれだけ連絡をよこして、またなってすぐ切られる。たった数十秒のその連絡にどれだけ心を楽にしてもらっただろうか。
四年振りの夜、お寿司屋さんに連れていってもらった。
いつも通り口数は少なく、合流するなり「寿司でいいか」の一言。
暖簾をくぐると、そのまま個室に通された。
ガゼウニをスプーンで食べている夢みたいな状況の中、急に話しかけられる。
「おい、お前な。その笑顔は誇っていいことだ」「どういう意味ですか」
「お前のその笑顔はな、今がこの時間がどうじゃなくて、この四年間、きっと背かずに、ずっと前を向いていたことがわかる笑顔だ。自分を律してできる笑顔だ。お前は逃げなかったんだよ。すごいな」
「いえ、そんなこと」
「俺は、お前が笑ってくれていて、本当に嬉しいよ。いい顔で笑うようになったな」
照れくささを隠すようにクシャッと笑って、お前も飲めよとばかりにビールのグラスをクイッとされる。
うざくを持ってきてくださった女将さんに、
「今日は、本当にいい乾杯なんですよ。こいつが頑張ったからなんですけどね。あっビールも追加もらえますか」
って。
もう、今にも泣いてしまいそうだ。
東京から一人地元に帰って四年間、誰にも話していなかった。東京にいた頃の私を知っている人はもうここにはいない。でも目の前にいるのは、全部、もう全部知っている人だ。別に褒められたいわけじゃない。でも、きっと誰かに声をかけてほしかったんだ。頑張った。私、頑張ったから。
こんな乾杯、忘れられないじゃないか。
こんな乾杯、ずるいじゃないか。
あなたに迷惑ばかりかけた私。
次々と投げかけてくれる言葉を受け取ってしまっていいのだろうか。
謝らなきゃいけないこと、たくさん、たくさんあるのに。
何も喋れなくなる私を見透かすかのように、その人は続ける。
「お前は、俺みたいに成長できない人間じゃない。もう気にするな。こうやってお互いに笑顔で会うことができる、それだけで十分だろ?」
酩酊しながら、私の目をまっすぐ見て言ってくれた。
こんなふたまわり近い年下にも、恥ずかしげもなく敬意を向けてくれる。
真正面から言葉をかけてくれる人って、一生に出会う人の中に一体どれくらいいるんだろう。
私はこの人の価値を理解できるし、この人もまた私の価値を理解してくれている。
勘違いではなく、そうだと思う。
だから私はこの人から連絡があればどうにかして時間をつくるし、逆も然りだ。
散々ご馳走になった別れ際、いつも先に御礼を言われる。
「今日はありがとう」
大きい手を差し出されて、両手で包んで握り返す。その度に、大好きな人がもっと大好きになる。大人になるとはどういうことかわからないけれど、こういう人でありたいと思うのだ。
月並みなことばとともに、愛を込めてこの文章を綴ります。
私はあなたがいなくても生きていけるけれど、あなたがいたから生きられます。
だからまた乾杯しましょう。
これからもずっと、生きてる限り乾杯しましょう。
あの夜、心の底から叫びたかった一言。
こんなにうまいビールがあるか。