キナリ杯はラブレターとなって
岸田奈美さん主催の『キナリ杯』受賞作品が電子書籍として出版されました。おめでたい!
受賞作品なんとなんと50作、、、!
すべての作品が宝石のように、いろんな角度からいろんな色に光っている気がします。
50作を読み終えたあとは画面の中の黄色い表紙が宝石箱のように見えました。
信じられないことに、こんな素敵な本の中に私の作品も載せていただいています。
自分の文章が書籍になるなんて、予想もしない未来でした。
気構えずにたくさんの人に手にとってもらいたい!というのが率直な気持ちです。
私のように普段は会社員をしている文章素人のエッセイも一字一句変えずにそのまま載せてくださいました。
だから、ある意味「書き手の思いが爆発しすぎている一冊」です。それも岸田さんの思いあってこその実現ですが、そういう点では本当に稀有な作品集です。
会社で怒られて落ち込んでしまったとき。
夜なかなか眠れないとき。
自分探しの旅に出ようかなと悩んだとき。
ホームシックになったとき。
大好きな彼と付き合えたとき。
命が消えないようにただただ願いたいとき。
自分より情けない他人を見たいとき。
テストで最高得点とれたとき。
50人のストレートな文章が、岸田さんのストレートな思いが、きっと手にとってくださった人の『誰にも話さないその気持ち』めがけて飛びこんできてくれる、そんな一冊だと思います。
売上はすべて来年のキナリ杯運営資金になるそうです。
コンテスト応募作品を私たちも(誰でも)読めるのがすごく嬉しくて、また数え切れないくらいの文章に出会えることが楽しみです。
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少し長くなりますが、出版することになってふと思い出した昔の話をちょっぴりさせてください。
私は、赤面症だ。
小さい頃は、吃音も今よりずっとひどかったので、国語の時間に音読の順番がまわってくる前には、みんなに聞こえない小さな声で何度も何度も自分が読むであろう一行をくり返して躓かないように準備していた。
日直の日には、学校を休むこともあった。
運動神経が悪いわけではなかったけれど、みんなの視線が集まる体育の発表の時間も苦痛で仕方なかった。学芸会の劇で立候補するのも台詞が少ない役ばかり。
大学の頃、授業で合図を出さなければいけない場面があったときには、誰にも見えない場所からなのにみんながいることを想像するとその一言がずっと出なくて、目に涙を浮かべて「できません」と先生に伝えた。
社会人になって、会議の進行役を任されたときにはカラオケに通って練習の毎日。
でもずっと、文章の中だけではみんなの前で話すことができたんだ。
弁論大会や学校行事の挨拶に推薦してもらったこともあったけれど、人前にでることがどうしてもできなくて断ったこともあった。
その度に「文章だけでみんなに届けてはもらえないのだろうか」と心の中で思っていたような気がする。
家族も例外ではなくて、素直に気持ちを伝えたことはなかった。
だから、キナリ杯には勝手にありったけの思いが詰め込まれていた。
家族への感謝が、尊敬が、愛が。そして自分への鼓舞が。
受賞が発表されたあと、私に迷いはなくなっていて、作品全文を母にLINEで送信した。
初めて気持ちを伝えた手は震えていて、返信の着信音で我に返るまでどのくらいの時間無心でいたかわからない。
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当時が甦ってきました。
でもあなたが文章にした内容を読んでると、良く理解しててくれたことが今は一番嬉しいです。
(中略)
複雑な家族でも理解をしててくれたことが何よりお父さんもお母さんも嬉しいことです。
お陰様でお母さんの涙は今幸せな涙です。ありがとうございました。あなたの気持ちが伝わってきました。
(中略)
これからは旦那さんと本当の意味で、分かりあえる夫婦になってください。
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自分の気持ちの整理のために書いたキナリ杯は、素直な気持ちをぶつけたラブレターになった。
みんなはどんなきっかけで応募をしたんだろうな。
過去の私を、一歩先の未来へ引っ張ってくれたキナリ杯。
いち会社員の投稿を、たくさんの方が読んでくださった。
どれだけの嬉しさか、伝えきれません。
本当にありがとうございました。
岸田さん、プロジェクトスタッフの皆さま、
本当に本当に本当にありがとうございました。
岸田さんの直球ストレートな思いがあったから、素直な文章を書く勇気をもらえました。
応募して良かった、その気持ちでいっぱいです。