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ミステリーを好む心理

漫画や小説で殺人が起こる様子を好んで読むわけ

 タイトル通り、私はミステリー小説を読むことが好きだ。今まで、どうしてミステリーにはまってしまったか理由を考えたこともなかったが、ふと思った。私は、例えば漫画の金田一少年の事件簿やHUNTER×HUNTERのように、少年漫画でも人が大量にあっけなく殺されるような漫画も好んで読んでいたことを・・・。
 そうだ、私は人がゴミクズのように殺されていく描写が好きなのだ。
 また、それだけ人間の醜い面を許しがたいと思っているのだ。
 
 また追々詳しいことは書くが、私は子ども時代からいわゆるクラスのサイレントマジョリティーになることは決してなかった。
 当時いじめられていた子を庇って仲良くした結果いじめのターゲットにされたり、常に混沌の渦中に置かれた。
 社会に出てからもそうだ。そのせいでというか反動なのか、嫌な奴は本当に消えてしまえばいいと自然に思うようになった。なんか、スイッチみたいのを押せば嫌な奴がパッと消える装置があれば便利だな~と本気で思っている。
 実際にそれを実行したら殺人になってしまうが、憲法では内心の自由は保障されているし、表現の自由も保証されているから、心の中で何人を消そうが、本の中で残虐な方法で人を何人殺そうが罪に問われることはない。個人的には、児童ポルノなんかより、残虐な殺人シーンの方がよほどモラル上問題があると思うが、社会的に容認されているのは後者の方だ。誰でも人を殺すことくらい考えて当然だよねというのが社会の一般認識ということなのだろう。

ミステリー作家も自分と同類だと気づく

 彼らは自分の作品上で人を何人も殺し、言わばそれで飯を食っている。本当に、殺人の描写をリアルに描く作家などは性行為の最中に後ろから槍で刺し殺すような生々しい様子を書いている。ほんとうに殺人とか、残虐なシーンに抵抗があるのであれば、決して描けない描写であろう。人を殺す場面を思い描くのに何も抵抗がない、という点では彼らと私は同類だ。まあそれはそれだけ、これまでの人生で他人から酷い目に会わされてきたり、人間の汚い面を嫌というほど見てきたことの裏返しでもあるのだろう。
 HUNTER×HUNTERの作者富樫義博氏も言っていた。自分はこの作品に出てくる残虐な描写の何倍も酷いことを心に思い描いていると。
 確かに、作品に描くものは自分の内面と全く無関係ではないと思う。
 「私は清廉潔白、こういう残虐なシーンは仕事として割り切って書いています。」なんて言い訳は通用しないだろう。普段から作家自身もそういうことを思い描いているからリアルな描写ができるのだ。

これは、自分に対しても思うこと

 他人ばかり棚に上げて自分はどうなんだとなるが、やはり自分を客観的に見ていても人間というものの厄介な面を感じることがある。例えば、一人暮らしをしていると、人が暮らすとそれだけで、環境を汚していると感じる。毎日たくさんのごみを出すし、掃除せずに放っておけば、特に汚そうという意識がなくとも、住んでいる部屋はみるみる汚れていく。自分を見ていても人は、生きているだけで環境を汚す生き物なのだと認識する。

人が消えればいいと思う時

 その汚す環境を自分の部屋や住んでいる家に留まらせず、他の人間の心の領域まで踏み込んでくる輩がいる。そういう奴らと相対したときに、私はこいつ早く消えればいいのにと思う。そいつを消したいのももちろんあるが、根底にあるのは自分の心の中から一刻も早くそいつの存在を消したいということだ。何かを言われたり、されたというそのこと自体よりも、それがずーっと尾を引いて自分を苦しめるという状況が一番苦しいし、許しがたいからだ。
 今回は、いじめなど個々の問題について具体的には扱わなかったが、個別的にいじめの何がいけないか、パワハラの何がいけないか、問題の本質についても追々見ていこうと思う。

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