フォルケホイスコーレにビビッときて「いつか行ってみたい」ひとが最初にするべきこと
「理想的すぎる。わたしが求めていたのはコレだ、、、!」
わたしが初めてフォルケホイスコーレの概念を知ったとき、思ったことです。
テストや修了証のための「学び」を教わるのではなく、「自分が何がすきで、何に幸せを感じるのか?」を考えるための時間。だからいろんな科目を試すことができたり、対話を重視した授業設計がされていたりする場所。大人だったら誰でも入学できて、生きるを学ぶ学校、なんて言われたりする。
そして「いつか行ってみたいな」とIFASで学校を調べたり、noteで経験者の日記を読んだり。
そんなあなたの留学がぐっと実現に近づくために、やるべきことは「ビビビを徹底的に言語化する」だとおもいます。
ホイスコーレとの初対面のときの「イイナァ」の衝撃が大きいことは知っています。わたしもそうでした。
「わたし直感人間だからさ!なんとなくビビッと来たんだよ!」
なのだとしても、「感覚」をあえて「言語」にすることが大切だと思います。
なぜなら、自分に言い訳をさせないためです。言語化してしまうと、「じゃあ、それなんでやらないの?」とできない言い訳をしている自分に腹が立ってくることがあります。それを狙っています。
また、留学をしたら8割のひとは心が折れるタイミングがあります。なんでここにいるんだっけ、なんでこんなに英語ができないんだろう、もうイヤだ!と自分を嫌いになりそうになるくらい、思います。そのときに「そうだった」と踏ん張れる理由があるのとないのでは、出せるパワーが違います。
言語化しておかなければ「ビビッと来たのは嘘だったのだ」と気持ちをなかったことにしてしまうのもカンタン♪
でも本当に、叶わないままで良いのでしょうか。
実現への一歩として、苦しくても言語化する。ひとに説明できるような立派なものである必要はないとおもいます。就活・転職のための、誰かを納得させる理由はなくて大丈夫です。(わたしもひとを論破する理由は持ち合わせておりません)
「ビビビ」は直感のように見えて、これまでのあなたの経験を積み上げた結果「直感的に降りてきた、論理」だとおもいます。
わたしは「直感に従って行動する」ことがダメだと言っているのではないです。むしろ、直感に従う方がうまくいく。
だけれども、直感を無視して殺すのか?行動して生かすのか?わたしの人生は前者でありつづけたいなあ。そんなことを思って、日々暮らしています。
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