日本語学習者に「ゆっくり」と「遅い」の違いを聞かれて考えたこと
デンマーク人の友達と話していて「あなたのデンマーク語はゆっくりだから、理解しやすい」と感謝を伝えた。ありがたいのよ、ゆっくり話してくれると。すると、その友達は日本語を勉強しているので、「遅い?」と聞いてきた。
いや、遅いではないんだよなあ。たしかに遅いもゆっくりも、英語にするとslowではあるんだが。
辞書で調べてみると、遅いはslowでゆっくりはslowlyらしい。でもその形容詞か副詞かという違い以外にもある気がしている。
うーん。日本は「速い」ことに価値を置いているのかもしれない。
「速い」の反対は「遅い」だけど、「遅い」だとマイナスな意味を持ってしまうから、「ネガティブな意味はない遅い」という意味の「ゆっくり」なのかもしれない。
元々「遅い」は「遅い」という事実だけで、ネガティブな意味を含んでいないはずだけれど、「速い」がいいこととされるから「遅い」とだけ伝えると「速くない」とちょっと失礼になってしまうことがある。だからゆっくりという言葉がうまれたのかな。
生産性を求めることは日本人の国民性というか、特技でもあると思っている。一般的に、仕事が速い。なんらかの「作業」をさせたらデンマーク人の1.5倍速くらいの体感。たとえばキッチン仕事とか、「効率って言葉知ってる?」ってくらいゆっくり。(遅い)(=丁寧ではない。それはまた別のお話)
生きているだけで、生産性を求めてしまう。生産性を高めることは、好きでやってること。チャットGPTに聞けることなら聞きたいし、掃除時間を短く考えることなくできるようにパッケージ化する。
でも、ひとに強要したり、生産性が低いときにバッドな評価をしたりするのは、生きづらいのかもしれない。遅いことは、ただ遅いってだけで、悪いことじゃない。それを体現しているデンマーク人と、何もかも速い日本人。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ速いか遅いかってだけ。