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「応援されて嬉しい」は、夢が叶う予兆なのだと思う。

ある日の夕食のテーブルでのおはなし。

50代くらいのフリーランスの診療放射線技師(多分)男性、60代くらいのコーチングをしていた女性、50代くらいの昔作曲をしていた女性と4人で卓を囲んだことがあった。全員デンマーク人。

フリーランスの放射線技師は国境を跨いでいろんな国の病院に派遣として行くんだって。さすがEU。

コーチングをしていた女性は、会社を経営していて、でも体調を崩してしまったんだとか。やり手感が出ている。

作曲をしていた女性は、J-soul BrothersやE-girls、Da-iCEに曲を提供したことがあるんだって!そんな、、!

こんな豪華な食卓で、みんな日本に興味を持ってくれて、わたしのデンマーク語力(かなり低い)に合わせて会話をしてくれて、それだけで、うっとりするほど幸せだった。

さらに幸せはづづく。何かの拍子で「ホイスコーレを作りたいです!」とカタコト以下のデンマーク語で言った。

「夢を応援している。素晴らしい考えだ。
デンマーク人全員が、サポートするよ。」

と言ってくれた。こんなに美しいことがあって良いのだろうか。

個人主義のデンマークで、「みんなが」なんてことはあるはずがない。それは一番、デンマーク人がよく分かっていることなはずなのに、「みんなが応援するに違いないよ」と言ってくれた。

「お世辞かも」と思うべきなのかもしれない。謙虚さを持てと言われるかもしれない。

でも「少なくとも目の前の3人は応援してくれている」ということに、疑いの目を向けたくないと思った。この人たちの応援をしっかり受け取りたいと思った。そして夢が叶った報告を、この人たちに早くしたいと思った。

夢を応援されるって、こんなに嬉しいことなんだな、と初めて知った。

これまで夢を口に出してきてなかった。もしかしたら、夢が心からのものでなかったのかもしれない。逆にこの夢は心から願っているからこそ、応援が心に染みるのだと思う。

心から願う「好き」は何よりもつよい。「好き」にはいつも、敵わないと知っている。だからこそわたしはこの「好き」にしがみついている。

応援された経験は、夢が叶う確信にもなった。不思議と夢が叶う気がしたのだ。それは叶えてもらえる気がした、という受け身なものではなく、叶えられる気がした。「あ、大丈夫だな」と。

だから多分、「夢を応援されて嬉しい」という気持ちは、夢が叶う予兆なのだと思う。もし違ったとしても、それが原動力で叶えようとすると思うからやっぱり叶うんだと思う。

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このつき
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