めっちゃ孤独なんだが
日本に帰っていた期間、身体は日本にいるのに、わたしは日本にいない気がした。かといって、その「わたし」がデンマークにいるように感じたわけでもない。
日本の友達の生活の中にも、デンマークの友達の生活の中にも、わたしはいないと思った。わたしはどこにもいなかった。たぶんみんなの心の中にはいるんだろうけれど、みんなの生活の中にはいないと思った。
たいてい嘆かれるのは、「誰かの生活の一部(登場人物)ではあるけれど、心からつながっているわけではない(心の中にはいない)」みたいなパターンだろう。わたしは逆だった。みんなが目まぐるしい東京を生きる中で、わたしだけ音が消えて時間が止まっている気がした。
だからなんとなく、わたしはどこにでも行けるし、どこにもいないんだと思った。あっちにもいるし、こっちにもいるし、どこにもいない。それはたしかに孤独で寂しさを感じたけれど、悲しいことではないと思った。
日本のわたしと、デンマークのわたしを両方知るひとは、「わたし」しかいない。すごく孤独だと感じた。だからときおり、それをすべてわかってくれるひとが現れたらいいのにと思う。(だから文章を書いてるのかもしれない)
でもそんなひとはいないと、キッパリ気づいた。仕方ないから「わたし」が、「どっちの君も知ってるよ」と言う。そうしたら、寂しいし、孤独であることには変わらないけれど、悲しくはならない。孤独な君であることを、君が気づく。人がこうしてくれたらいいのに、と切望することを自分でやってみたいと思った。
ひとはきっと、みんなが孤独だ。孤独が普通。それでいいし、それがいい。そこがいい。そこが好き。だから孤独であることは、寂しいことだけれど、たぶん悲しいことじゃない。むしろ、だからこそひととつながれる。たぶんね。
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