「おもしいことをいえない」危険信号
もともと芸人のような人間ではない。
みんなの尊敬をあつめるようなツッコミも
羨ましがられるボケもできない。
でも、とりわけさいきん、
人を笑わせられていないことにきづく。
日本にいたときは、どっかーん!とはならずとも、
「あはは」レベルのことは、いえていた(はず)。
英語だからだろうか。
たしかに、日本の笑いと世界の笑いが
違うと感じることはある。
アメリカドラマの冗談が
全っ然わからないときあるよね。
でも、世界共通の笑いを取れるひともいる。
友達のKasperとかね(突然狩り出されるKasper)
だからそれは、言い訳にはならない。
それにわたしは、日本にいたときより
世の中を「おもしろがって」生きている。
日常でおもしろいことは、たくさん起きている。
となると、なおさらなぜ、
わたしはおもしろいことを言えないんだろう。
自分がおもしろがる力と
人をおもしろがらせる力は、ちがう。
おもしろさの自給はできているが、
供給できていない。
つまり「おもしろがらせよう」「たのしませよう」
という気持ちがたりないのではないか?ときづく。
、、、、、うん、たぶんそうだ。
デンマークに来て
人に過干渉されなくなった。
だからわたしも過干渉しなくなった。
そして、それを言い訳に
「わたしが相手にできることはないか?」
と考えることも忘れてしまったようだ。
「適度な距離を保つこと」をしすぎて
いまのわたしは、
ギブの精神が足りていない。
だから、
ひとをクスッとさせることを言えていない。
おっと〜
それはいただけない!!!!
「ギブのこころが大切」
なんてことは、誰もが知ってる話。
めあたらしい意見ではないだろう。
それでも、多くのひとが
多くの場面でいっているのは
わたしたちが気を抜くと
すぐにそのことを忘れてしまうから
なのかもしれないね。
今日からこころは、NSCに入学だ。
(おもしろい締めは浮かびませんでした涙)