【無料記事】日記20240325/いつまで
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Laura Lake @ Pixabay
前書き
以下の文章は、スマートフォンの音声入力機能を用いて作成した初稿に対し、それに最低限の修正を加えたものである。
いわば、人の思考がどれだけまっすぐではないかを実験した結果だ。
よって、文法や執筆上の各種ルールを平気で破っているし、そもそも決して読んでいて愉快な文章ではないと筆者自身が感じている。
しかし、一人の書き手としてこれをあえてインターネット上に(無料で)公開することに決めた。
書くことは鏡を覗くことであり、それを常々忘れてはならないと筆者は考えている。
20240325 22:51
私はいつまで年を取れるだろうという不思議な問いが頭にある。
夕飯を食べている最中に浮かんできた問い。
夕飯は明太子パスタだった。食べたいものを食べた。作りたいものを作って食べた。
料理というのはある意味、人間の尊厳や自己肯定感と言われるものを満たす行為だと思う。
手を動かしていれば、必ず何かしらのものは作れるし、自分で作るのだから味付けや量や分量やそういったものは自由に作れる。
店で食べる明太子パスタはどうにも明太子の量が少なくて少し不満だった。だから今日はできるだけ大ぶりのやつが入ったパックをスーパーで買ってきて、好きなだけ使った。ただ明太子も多すぎると麺とのバランスが取れなくなって食べるのが難しいなと思った。でもやりたかったことをできたというのは、一つ満足な行為を満足な経験をしたかなと思う。
最初の問いに戻る。
私はいつまで年を取れるだろう。私は年を取るのが遅いと思う。正確に言えばある期間、きちんと年を取れなかった。だから、肉体的な年齢と精神的な年齢が噛み合っていない。精神的な年齢の方が少し遅れている。大人になり損ねたというか。
社会的にはおそらく未熟な人間として見られるのだと思う。それは仕方がない。平均的に見て行動や言動が幼いというのは自分でも多少自覚はある。
どこかで聞いた話なんだけれど、発達障害を持っている人は脳の成熟が何歳になっても続くらしい。一般的な、いわゆる定型といわれる人たちは(記憶が正しければ)30代半ばになると脳の成長というのは止まってしまうらしい。しかし発達障害の人というのは40代になってもまだ脳の成長が続いているのだという。
自分が発達障害であるかもしれないという疑いは持っている。きちんとした診断を受けたことはない。発達障害の人の特徴と称されたリストを見ていると自分のことだなと思うことは多い。
正直、若い頃は辛い経験をたくさんしたような気がする。とりわけ自分の気持ちを打ち明けた時にひどい目に遭うという経験が多かったように思う。気がするとか思うと述べるのは、あまり覚えていないからだ。少なくともこれを書いている今はうまく思い出せない。
そもそも当時は自分の気持ちを打ち明けられる相手もあまりいなかった。あらゆることを過去のせいにしてもしょうがないのだけれど、今でも影響は続いているような気がする。
けれど、過去は過去であって今更どうしようもないことだから、私が今するべきことは年を取り損なった期間を少しずつでも取り返していくことだと思う。
いろんな経験をして、いろんな人に会って話をして、そうすることで取れなかった年を少しずつ重ねていく。
そうなった時に、私はいつまで年をとり続けることができるのだろうという問いに戻ってくる。
体の方は順調に年をとって、つまり老いて衰えていて、疲れが取れづらくなったり、徹夜がしんどくなったり、あまり無茶をすることができなくなっている。
それに対して、まだ脳や心の方は若くていろんなことをしたいと主張する。無茶なこともしてみたいしいわゆる年相応でないことをしたいと心が望むことはある。
そういう時のギャップをどう埋めていったらいいんだろうか。
いつか心が、心の年齢が体に追いつくことはあるんだろうか。それが年齢が噛み合うタイミングは一体いつなのか。肉体が死んでしまうまでに少しでも精神の年齢が体に追いつくことはできるんだろうか。いつまで私は年を取り続けることができるのか。
先のことはまだ全くわからない。だから不安でも恥ずかしいと思っても、とにかくやりたいと思ったことをやっていくしかない。それは分かっているのだけれど、多分一生頭から拭うことのできない疑問なのだと思う。
終わり。
本稿は定期購読マガジン「Immature takeoff」収録の無料公開記事です。
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小説家・此瀬 朔真によるよしなしごと。創作とか日常とか、派手ではないけれど嘘もない、正直な話。流行に乗ることは必要ではなく、大事なのは誠実…