![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161995898/rectangle_large_type_2_2c80633aba0ba5208bb6f5c066e1a610.png?width=1200)
【無料記事】あるいはその曖昧さも物語として吸収されるのかもしれないが
【注意】
誤って削除してしまった記事の再投稿です。
初回投稿は 2024年10月4日 21:00 です。
私は被災地に住んでいる。
いまやこの国のあらゆる場所がそう呼ばれる時代だが、とにかくそのひとつに住んでいる。比較的寒い地域で、海のものが美味い。この程度の紹介にしておく。
この地を大きな自然災害が襲ったあと、語り部と呼ばれる人々が現れた。
語り部と言えば、古くは稗田阿礼などが思い浮かぶ。故事を語り継いできた人々のことだ。講談師も古くはあちこちの集落を回り世相を語っていたらしい。
近年、この語り部という言葉に新しい意義が与えられた。
過去の悲劇、すなわち自然災害や戦禍についての記憶、それに基づく教訓を語る人々のことである。
彼らが語るのは自身の、あるいは他者から聞いた記憶である。
どれだけ怖かったか、恐ろしかったか、悲しかったか。そこから未来へ繋げられる教えはこのようなことだ。どうか皆さんにも覚えていてほしい。
そういった内容だ。
彼ら新たな「語り部」について、以前から疑問に感じていたことがある。
人間の脳は意外に忘れっぽく、そして優秀なストーリーテラーだ。
忘却という残酷でやさしい機能によって欠けた記憶を、上手に補ってしまう。
人の記憶は絶えず時間との摩擦を起こして擦り減り、断片化している。ステンドグラスが粉々に割れ、色とりどりのガラスの破片になっていくようなものだ。
しかし人に記憶を語るにはストーリーが必要で、断片ではそれに足りない。
では、語り部はどうするか。
欠片となった記憶をひとつなぎの「おはなし」に加工する。
ガラスの破片を集め、綺麗に磨いて穴を空けてビーズを作り、丁寧に糸に通して繋ぐように。
糸で繋いだビーズは美しい首飾りになるだろう。貴重で尊い物語として語り継がれるかもしれない。
しかしビーズは既に真の姿を、ステンドグラスであった姿を失ってしまっている。完全な変質を遂げ、もはや戻すことができない。
さらにひどいことに、ビーズがかつて持っていた真の様相、すなわちステンドグラスの姿さえも、語り部の脳から次第に薄れ、変容していく。新たに生まれた首飾りこそが自身の記憶の真の姿であるのだと信じるようになる。
これは私自身の見解であるが、記憶にまつわる感情が激しいものであるほど、つまりは記憶の元となった事象が語り部に与えた衝撃が大きいほど、変容の度合いは強くなる。
これに対し、一部の人は以下のように主張する。
首飾りが確かに美しいのならば問題ない。新たに紡がれた「おはなし」が有用であるならば問題はない。
真実からいかに遠ざかろうと、今の我々の目を喜ばせ将来への価値があるならば、何を咎めると言うのか。
私はこの主張に真っ向から反論する。
物語の力を、物語が人を動かす力を軽く見積もってはいけない。
災害が繰り返されるたびに飛び交うデマが、どれだけ社会を混乱させ無用な分断を生んできたか。そして今もなお多くの人を巻き込み問題を深めていることか。
いくら忘れっぽい私たちであっても、もはや否定はできないだろう。
災害から離れた例を挙げてみよう。
柳田國男の「遠野物語」は、遠野を訪れた際、現地に住む作家・佐々木喜善の語った民話、伝説に興味を持ち、書き留めて編纂したものだ。このとき佐々木喜善の語った内容もまた、遠野の住人たちから聞き取った話である。
これに、やや意地悪な解釈をしてみよう。
遠野の住人たちは言い伝えを正しく記憶していただろうか。
佐々木喜善は住人たちの話を正しく書き取っただろうか。
佐々木喜善は聞き取った内容を正しく語っただろうか。
柳田國男は語られた物語を正しく書き留めただろうか。
東京のお偉いさんに請われた佐々木喜善がつい張り切って話を盛ったかもしれない、というさらに穿った見方もできるが、それはいったん置いておく。
重要なのは、「遠野物語」が成立するまでにこれだけの「伝言ゲーム」を経ているということだ。
忘れっぽく優秀なストーリーテラーをいくつも挟んで編まれた『遠野物語』には、もちろん物的証拠が今でも多く残っている。没落した長者の家やザシキワラシとすれ違った橋は今も遠野市内に現存している。
しかし、それだけですべてが真実であると言い切るのは無謀だろう。
今となっては確かさを証明できない、人の記憶という曖昧なものに依存した物語の集合体。
そんな『遠野物語』は現在、岩手県遠野市の一大観光資源となっている。
人は絶えず記憶を忘却し、また不完全な修復(あるいは改竄)を行う。
その営みは無意識に行われ、かつ不可逆である。
そうであるならば。
【市井の人々の記憶は薄れるが、語り部の記憶は常に正確で揺らぐことはない】
誰が、何が、その主張を証明できるのか。
私自身にも震災の記憶はある。
それらはもちろん既に断片化している。また、取り返しのつかないほど変容が進んでいる可能性もある。後者については、もはや私には認識できない。
もう少し私の話をする。
私はフィクション小説の執筆を専門としている。作品はもちろんすべて架空の世界、架空の人物を構成要素とする。
しかし、私という生きた人間が書いている以上、そこに私の個人的な体験、記憶が含まれることは避けられない。
要は私の創る作品は、まったくの創作と私の記憶の混合体、さらに言えば変質し切った記憶とも呼べる。
仮に私が現実と幻想の境を失ったとき(これは当然誰にでも起こり得る事態だ)、ここまでの話を前提とするならば、私の作品が私の新たな記憶として定着する可能性がある。
無意識、あるいは時間経過による不可抗力としての記憶の変質と、創作行為による意識的な記憶の変質。
その区別を、果たして私はつけられるのだろうか。
近年の私は暗い、つまりハッピーエンドではない話を書くことが増えた。
私の記憶も、もしかしたらそのような苦い内容で埋められていくかもしれない。
BGM
【結月ゆかり】轟音、それは青空のように。【螟上?邨ゅo繧】
夏という季節は記憶に似ている。
本稿は定期購読マガジン「Immature takeoff」収録の無料公開記事です。
これ以降に本文はありません。
ここから先は
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91891657/profile_d70d68ce3e21a4cb82022bbf2e683aee.png?fit=bounds&format=jpeg&quality=85&width=330)
Immature takeoff
小説家・此瀬 朔真によるよしなしごと。創作とか日常とか、派手ではないけれど嘘もない、正直な話。流行に乗ることは必要ではなく、大事なのは誠実…