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ゆるゆる通信3月上巻〜彼は逝ったのだ、遺された私達の正しい生き方は何〜
丸一ヶ月更新を休んでしまいました。
タイトルからお察しの通り、しふぉん、は、彼は、2月にしては暖かい春の様な日差しの中で、私の腕の中で眠りにつきました。
温かい体がまだ生きている様で、くたりとした身体が眠っている様で、閉じるのが下手な瞼がまだ見ているよ、という様で。
全てが、全てが受け入れ難い事実で、とてつもない喪失感と悲しみを私に残して逝ってしまいました。
彼はとても優しく気性の穏やかな、おっとりとしつつ小心者の猫でした。
全てを何もかも失って、でも死ねぬ私をこの世界に繋ぎ止めている存在でした。
彼が今逝ったのはもう良いよね?と彼を安心させられるくらい私が元気になれた証拠なのかな、とか、33日間も私達に心の準備をさせてくれてお別れをさせてくれたのだとか、沢山の良いことを拾い、彼の帰りを待っています。
世界で一番愛してるよ、お母さんはちょっとおバカだから、あなたの柄が変わってしまって身体が変わってしまったら気付けないかもしれないけども。
それでも精一杯愛して、愛して、最後の最後に私も眠りについた時、答え合わせをして全部あなただったのねって笑うから。
その為に私は『死にたい』を辞めます。
あの子が生きたことを、あの可愛くて愛おしい子が生きたことを世界に伝えていって、覚えていなきゃいけない。
帰ってきたあの子を迎えなきゃいけない。
その為に私は健康を取り戻さなきゃいけない。
ペットロス
全ての小さな命と寄り添って生きる人達の恐怖だと思います。
私は人生でしふぉんを除くと2匹の猫と別れてきました、どちらも死別ではありません。
深堀すると闇が深い話なので辞めておきますが、ある意味で幼かった私にはとても僥倖だったと思うのです。
その代わりといってはなんですが、人よりもペットロスというものを夢想し思案しどう受け止めるべきなのかのシミュレーションが出来ていたのかもしれません。
彼は生きることを教えてくれました。
後を追うことは絶対考える、でも、見えないものを信じ、輪廻転生のケルトの考えに触れてきた私は、この別れは100%の終わりじゃないとすとんと受け止められました。
だからこそ彼の分まで生きて、生きて、探しに行かねばなりません。
愛するあの子は気が弱いから。
もし仮に九生を終えていたとしても、あの子ならば、やれやれ。と困った顔できっともっと手のかかる大変な子を送ってくれるでしょう。
ペットロスから立ち直ることは人生のうちに訪れる難関の中でもかなり難しい部類です。
だからこそ立ち直ろうとしないで。
だからこそ悲しんで。
だからこそ泣いて。
私達の苦しみは愛情の証です、勿論上手く受け入れられたとてそれはきっと器用なだけで愛の大きさは測れないでしょう。
ただ立ち直れない人はそれだけ気持ちを上手く宝箱にしまえない、不器用な方なのでしょう。
思い出も宝箱も沢山あるからこそどこに何をしまえばいいのか?それが分からなくなってしまっているだけです。
どうか自分を責めず人を責めず、ただし攻められたいのならば責められればいいのです。
なんでああしなかったの、こうしなかったの。その気持ちを抱えて生きて、最後に愛しい子達に会った時謝りましょう。
少なくとも私達が愛したあの子達は私達が死ぬ事は望んでいないでしょう。
(少なくともうちのしふぉんは私が死ぬ事を望みません、それに死ぬよりも生きて美味しいご飯をちゃんとお供えしてね!というちゃっかりしたところもあります)
遺された側だからこそ考え・悩む。
答えは自分で作るしかない問題です、時間はまだあるのだから沢山悩みましょう。
無理をすることはありません、涙は愛情です。
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