功能聡子

ARUN代表。社会的投資を広める活動をしています。www.arunseed.jp

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マガジン

  • 功能聡子「むずかしかったら、たのしくやろう。」

    ビジネスの力で課題解決をめざす途上国の起業家と、彼らの活動に深く共感する人々をつなぎ、資金、人的資源、技術、知識の循環を生みだす「社会的投資プラットフォーム」構築に挑む著者。この取り組みから生まれた貧困解決・社会変革のアイデアやストーリー、そして浮かび上がってきた新たな課題や可能性を紹介する。

最近の記事

直感を受け取るチャネルとは?

ARUNの新しいオフィスの近くにある小石川後楽園。その庭園に面した灌徳亭(かんとくてい)というお茶屋さんを15年ぶりに再訪。ここで、来日中のステファン・メルケルバッハ氏によるソース原理・ソースワークのワークショップに参加しています。 ソース原理については改めて書くとして、今日は簡単な備忘録を。 まず、前提として、ソース原理によると、 「ソースパーソンは、アイディア、直感、インスピレーションを受け取るもので、オリジナルで生み出したものではありません!」 これを知った時、ソ

    • 2024年元旦

      あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願いします 実家に帰っておせちを囲んだ。 ひとしきり食べた後に、母が花瓶に挿した茶梅を持ってきた。 きれいでしょう? 備前の花瓶によく映えて、咲き具合もちょうどいい。玄関には、お正月らしく千両と松をいけている。母が言う。 お庭にある花をいけるのが夢だったの うん、いつもの台詞。実家に来る度に聞いているから知ってるよ。 でも聞く度に、母のしあわせが伝播して、穏やかな幸せに包まれる。4人の子どもを育てた母の人生を祝福したい

      • 明日の大学

        今月の日経朝刊「私の履歴書」の執筆者、東京エレクトロン元社長の東哲郎氏が、ICU(国際基督教大学)の同窓生であることを、今日の朝刊で知った。 ちょうど昨日、ICU理事の富岡徹郎氏より、ICU創設の頃の話を聞いたばかりである。その話がとても素晴らしかったので、忘れないうちに、書き留めておきたい。 ICUは、戦後、日米の人々の協力により創設された大学だ。その背景には、日本と和解したいというアメリカ人の思い、もう二度と戦争はしたくないという日本人の思い、そして、日本にエキュメニ

        • エイプリルフール

          4月1日 新学期の始まり。新年度の始まり。始まりはいつでもワクワクする。 思いがけない知らせが飛び込んできた。子供の頃から知っている親戚が、地方の大学の学長になった。そして、同じタイミングで、大学生の時からお世話になっている先輩が、そこに教授として着任した。 春にふさわしい始まりの良き知らせ。 ところが、 何の因果か、同じ日に決定的な終わりもやってきた。良き知らせを喜ぶメールの中にはさみこまれた絶縁状。圧倒的な決意に裏打ちされた宣告で、わたしたちのコミュニケーション

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        • 功能聡子「むずかしかったら、たのしくやろう。」
          1本

        記事

          お昼ごはん

          オフィスに行く楽しみの一つはランチ、という人もいるのでは?私のオフィスも恵まれたロケーションで、徒歩圏内に、美味しいお蕎麦屋さんも、創業70年近い老舗のカレー屋さんも、水餃子が食べ放題の中華料理屋さんもある。 一番近いのは、和食の小さなお店。メニューは日替わり定食だけだが毎日食べても飽きない味で、周辺のサラリーマンらしき人でいつも賑わっている。12時少し回ると、12席あまりの店内はすぐに満席になってしまう。この日もそうだった。 午後、大事な打ち合わせが控えていたので、お気

          お昼ごはん

          8月31日

          月曜日、大学時代の友人のひとりが、緑に囲まれたホスピスの部屋で息を引き取りました。 数日前、インターネット越しの彼女の顔は、すやすやと眠っているように見えました。彼女を悩ましていた痛みも、便秘も、吐き気もなくなった、安らかな顔。 「もう半分くらい天国に行っているのかもしれない」 と、その時、ホスビスに行っていた同級生が言いました。そうかもしれない、と私も思いました。 それからずっと、彼女のことが頭から離れませんでした。 とても頭のいい女性でした。大学卒業後、ジャーナリス

          終戦記念日

          第二次世界大戦。太平洋戦争。子どもの頃、それは、遠い昔のことだった。 しかし、実は、わずか75年前の出来事に過ぎない。(子どもの頃は、わずか20-30年前のことだったわけだ。。。) 75年という年月をわずかと感じるのは、年をとったからなのか。それとも、それが、いつ起こってもおかしくないことであると言う差し迫った気持ちを、持つようになったからだろうか。 様々な機密文書が公開されて、当時の様子が明らかになるたびに、75年前、戦時下の私たちが、いかに自ら考えることなく国家に従

          終戦記念日

          私はめったに夢を見ない。 夫は、三年間、まだ一度も出てこない。どうして? そして、二週間前、久しぶりに夢を見た。 場所は、いつものジョギングコースの途中。公営の集合住宅の前。 大きな木が茂っている。あれは何の木だったかな。 時間帯は、いつものジョギングの時間ではなくて、暗かったような気がする。 私は宇宙人と話しながら歩いていたが、感情が溢れて泣いていた。 彼は立ち止まって、そっと私を抱き寄せた。 私は宇宙人の腕の中で安心して泣くことができた。 それはとても不思議で、

          料理の楽しさ

          「一緒に食べる人をさらに幸せにしてください」 シェフのコメントを読んで、料理の楽しさについて考えたので、そのことを書いてみる。 コロナ禍の自宅で見つけた楽しみは料理、という人は少なくないらしい。私もその一人で、松嶋啓介シェフが開設したyoutubeチャンネルを登録、料理教室にも参加した。 シェフの料理動画がアップされるのを追いかけるように、40品以上作ったと思う。動画は、軽快でリズムがあり、3分から7分の短い時間に、料理が完結する。そのハードルの低さと、塩なし料理の新しさ

          料理の楽しさ

          言葉にすると

          体の奥深くにしまいこまれた、記憶の塊、後悔、痛み、怒り、涙。それはいつもそこにあった。あなたはいつでも戻って行って、同じ苦しみを味わうことができた。あなたは、その記憶が失われることを恐れ、外に溢れ出すことも恐れていた。 ところが言葉にしてみると、その塊は、拍子抜けするくらいの容易さで、大空に飛んでいった。あなたはその呪縛から解放される。それはもはや、隠しておくべき、忌むべきものではなく、覚えておくべきものでさえもない。それはただの、過去に起こった出来事。そこに、あなたはもう

          言葉にすると

          仕事はやめると

          尊敬する先輩が言った。「亡くなる前の晩も、隣のベットで論文を読んでいた」「でも、何の論文だったか全く覚えていない」 私は、夫を看取ることはかなわなかった。それは、自分が仕事を優先した罰だと感じていた。 「私は、次は仕事はやめる」 普段は、「がんと診断されてもすぐに仕事をやめないようにしましょう」とアドバイスしているのに、全く矛盾している。先輩は少し驚いたような顔をして言った。「それは、看取りの経験をしたからだね」そうかもしれない。その場にいられなかった「看取り」だったから

          仕事はやめると

          石焼ビビンバ

          アフリカで働く友人から、メッセージが届いた。カンボジアで一緒に働いていたこともある、もう20年近い付き合いだ。彼女は、 『彼女の亡夫は自分の親友だった。だから彼女と近づいているお前が嫌いだった。でも今は、お前が来ることになったから親友は行かなければならなかったと分かった』 という映画の一節を引用して、 「今は、なぜ彼がいなくならなければいけなかったか、という問いが頭から離れないかもしれない。しかし、きっとひょんな形でその答えが見つかる瞬間があるのではないか」 と言う。

          石焼ビビンバ

          好きだったもの

          命日。不思議な1日の始まりだった。 朝5時頃、目が覚めたら、メッセージが入っていた。 誰かを不愉快にしてしまったようだ。その時は、どうしてそんなことになったのか、皆目見当がつかなかったので、理由を聞いてみた。すると、 ・xxの質問はまるで何かを捜査しているかのように感じます。 ・xxの質問はその意図や動機が明示されていません。 ・質問の内容とxxとの関係が明示されていません。 ああ、そう言われてみれば、、、と思い当たる節があった。 しかし、私は、その人から言われなけ

          好きだったもの

          花束が届いた。 甘く可憐な花束。 それは友人を亡くした私を気遣って、遠い海の向こうから贈られたものだった。 その死は、多くの人を驚かせた。 今年のはじめ、大学の同窓会で故人と20年ぶりに再会したという方が、ご弔問に来てくださった。彼は飛び抜けて優秀だった、とおっしゃった。 会社の同期の方が弔辞を述べてくださった。故人のことを、優秀で、ルックスもよくて、ギターも弾ける、かなわないと思った、とおっしゃった。 誰も彼が病気とは思っていなかった。 会社は3月から在宅勤務