共同マガジン非掲載です。 科学と宗教シリーズ 終 へべれさんがある国境地帯で見たもの
時は2011年。私は東日本大震災の様子をある国の国境地帯でテレビから見ていた。
テレビの中の自分の国の大惨事と、自分がいる場所で起きていた小規模な爆発や殴り合いの中で、それがどれほどのものなのか感覚がおかしくなっていた。
すぐに停電。
街に出ると路上に排泄物のようなものがところどころ落ちていて、気温が高いため悪臭が酷かった。
私はナイフで縦に切られたリュックサックを一つしか持っておらず、中身もなかった。
病院はある、あるのだが、目を向けるのをやめた。
それが今の私の、そしてきっとこれからの私の受けた精神的なあまりにも大きな傷だった。
熱があったのか体が重く、一日中うずくまっていた。
たった17日。人生の中の17日。それがその後の10年をこんなにも決定づけるとは思わなかった。
求めてやまなかった助けの手は、同じ境遇の人から伸びてきた。
袈裟を着ていたが、何を言っているのか少ししかわからなかった。
彼らは極めて貧しかった。
その中で、同じ果物を食べ、同じ歌を歌い、少しだけ笑えたということが、きっと今の私を創っているのだろう。
そして、あまり語るに相応しくないということも。
ただ、黒い肌に白い歯が、笑うととても目立っていた。
科学や宗教を語っておいて終わりにこんなことを書いていいものかわからないが、私が彼らから教わったことは
どんな風にでも、生きられるということだ。
まだまだ私は若い。いろんな困難に直面しながら、嘆きもする。愚痴も出れば泣きもする。
だからこそ、傍らの誰かしらの声を聴きながら、考えることを止めようとは思わない。
さあ、今朝はバス停までついてきた野良猫の声を聞いたことだし、もっと多くの命と触れ合って生きていこう。
探求はまだまだ、始まったばかりだから。
©心瑠華へべれけ
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