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科学と宗教の精神的関係②

※多少受け入れがたい話になる。筆者一個人の考えだと割り切って、見ることをお勧めしておこう。

・宗教が私たちの心に働きかけるもの

宗教の根本は「人間が幸せに生きる」ということである。
日本では宗教には馴染みはない為、この辺りの理解はされないかもしれないが、あえて当然過ぎることを記しておく。

そして、宗教にとっての特徴、それは「祈る」ことである。

繰り返すが、宗教は「人間が人間らしく生きる」ことを目的としている(一部の宗教を除く)

これは人間は本能のまま動物的に生きるのではなく、人間の特権である「理性」を根源として、生を貫いていくということを意味している。

ここでまた一つ、考えてほしいことがある。

人類の歴史の中で、過去には何度も思想や宗教の違いによる紛争があった。

そしてそのような性質の紛争では、命を懸けてまで戦うということが多かったのだという。

なぜだろうか。

逃げたければ、逃げられた。

命を失うくらいなら、降伏することもできたはずだ。

しかしそうはならなかった。彼らは自ら戦うということを選んだのだ。

投げやりになったとしても、今の私たちには到底無理な話だ。

彼らを動かしていたのは、信念であり、信仰である。
自分が正しいと信じた生命観、人間観、世界観を正しいものだと信じた信念だった。

もちろん、これは極めて極端な例だ。

しかし、ひるがえって考えてみると、今の私たちに、生涯を通して貫くものがあるだろうか。

いつの時代も、信仰というものは人々に確固たる人間観や生死観、世界観をもたらしてきた。

それにより人々は秩序から外れることの「恥」を知り、それがひいては文化へと発展していった。
私たちもそうなのだ。

文化や教育が形だけのものになった時、この「人間であることへの不真面目さ」が秩序を分割しはじめる。

以前別の記事でも語ったが、思想というものはそれを最初に語った人間のこととセットで学ばなければ、知識が独り歩きしてしまう。

目的を失った知識が蔓延し、それらを体系づける思想は色褪せていく。

宗教と一口にいっても、その存在が今日の私たちに教えてくれる事も数多くあると、私は思うのだ。

©心瑠華へべれけ





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