訪問看護のケーススタディ
こえられない善意の壁
本題に入る前に少しおさらいをしておこう。
登場人物のおさらいと、目的をまずははっきりさせておく。
登場人物→Aさん(生活保護受給者、障害あり、県を越えて市の正式な認可と引越費用を負担してもらい転出したばかり)
不動産会社B(実質的な社員一人、代表取締役のみ、県から居住支援法人の指定を受けている)
福祉事務所C(その地域を管轄する生活保護に関する事務所)
その他(転出元の自治体と手続きに関わった訪問看護などの関係者)
これから書くことはあくまで経験に基づいてはいるが内容はあくまでフィクションであり、実際の名称は全て架空のものとする。
なぜ私がわざわざこれを書くに至ったかの経緯については読者の想像にお任せするところである。
強いて言うならばこういった可能性を含む事例が発生することに強い警鐘を鳴らすものである。
ここまでが以前書いた「悪意に満ちた綺麗な不作為①」の冒頭部分だ。
今回は「その他」である訪問看護にまつわるケースについて書いていくことにする。
訪問看護とAさんとのやり取りをシリーズ中に書いているので、併せて読んで見てほしい。
この一連のシリーズは、Aさんの実際の送信、通話記録の1部から状況を想像して割り出して作られた物語なので、世の中での出来事とも言えるのだ。
さて、本題へ入ろう。
「超えられない善意の壁」とはどういう事か。
Aさんは転出に再して、訪問看護の仮名Sさんに手続きの一部を「代行」してもらった。
代行という言葉を用いてSさんとやり取りをしていたAさんは、Sさんから「善意」で代行してもらっていた。その事にAさんはとても感謝していた。
複雑な手続きに難があるAさんには、渡りに船だった。
この「代行」の定義をつけておくと
「Aさんの代わりに、Aさん本人を介することなく手続きをSさんが進めた部分」とでもしよう。
しかし
Aさんは都会へと引っ越してすぐに悪質な手口だと気づいた時には、Sさんは「私は代行していませんし、私には責任も一切ありません」と一切身を引いた。
もともと善意で成り立っていたが故に、Aさんは自分の口から一言もSさんを追求することをやめた。
Aさんの両親は過保護であった為、Sさんには両親が「Aは何とも思っていない、Sさんには感謝している」と告げられた。
そしてAさんは証言に必要な協力を得ることができず、一連の出来事を証明する方法を失った。
その結果、Aさんが、受け続けてきた被害は合法となった。
Aさんはその後生活保護の再申請をしたが、すぐに不支給の返答があり、今は生きるために働いている。病状は悪くなる一方だ。
この一連の出来事を以て、善意であったにせよ、立場が悪くなれば居なくなるSさんというのが精神のケアの専門職だということに大きな衝撃を受けた。
人格を問うている訳では無い。
品格の問題である。ないなら無くて構いはしないものだが、他者を踏みつけるような事をして保たれる品格が、まさしく動物的で、世間ってそんなもの、と言う時の「世間」に一番しっくりくる表現だろう。
ケーススタディとして書いた以上、善意にも色々な形があるのだと、そしてどう向き合っていくかという事を問題提起して、この記事を終わろう。
©心瑠華へべれけ