【おじいちゃんの最終日】
今から7年前のこと。
携帯電話には母からの数回の着信履歴と
留守番電話の表示。
身内からの珍しい「伝言」という事象に
私にはいくつかの嫌な予想ができていた。
内容は思った通り。
意外だったのは母親の高めのテンションと
しっかりしたその声だ。
「あ!もしもし〜!いずみ??(携帯電話なのに本人確認を取るのがオカンあるある)あのね、おじいちゃんが死んじゃったから、報告でーす!」
実際の母の意図とは違うかもしれないが
確実に私の耳にはそう聞こえていた。
自分の父親が死んだのに
ひとつも落ち込みを見せない母の声に
さすがだなと感心する。
「おりかえしの電話が欲しい」などの
事務的文言も一切なく
ただ祖父が亡くなったことの報告が
爽やかに録音されていた。
数日後、祖父の葬儀の場に行くと
喪主が母の兄である叔父だった。
私は母に
「あれ?おばあちゃんはどうしたの?」
と聞くと
母は笑いを堪えた変な顔で
「なんかね、、絶対来たくないんだってっ」
と言って結局、堪えきれず
説明しながらほぼ笑っていた。
え?・・・・・・・・・・・・
そんな事ってあるの?
50年だか60年だか連れ添った相方の
まさかの葬式参列と喪主の拒否。
母も母だが祖母も祖母だ。
確かに
「飲む打つ買う」の三拍子を見事に揃えた
江戸っ子のお手本だった敬二(祖父の名前)。
晩年は競馬と銭湯と焼酎の印象しかない敬二。
孫の私から見ても
ろくでもない感じはシッカリと伝わっていた。
祖母には私ごときでは知る由のない
積年の怨念か何かが
溜まっていたのかもしれない。
こうして母が明るくその死を伝え
祖母が断固として出席を拒んだ
祖父敬二の葬儀が始まった。
誰が考えたのか
敬二には立派な戒名がつけられていた。
「酒」とか「博打」とか入ってたほうが
敬二らしいのにと
祖父のことをひとつもわかっていない文字に
私は少し面白くなかった。
外孫である私と5歳下の弟にとって
仏教式のお葬式は初めてだった
お焼香の順番が近づいてくるにつれ不安が募る。
私「お焼香ってどうやるの?」
「待って、ググるわ!」と弟
二人でコソコソとスマホの画面を見ながら急いで暗記をする。
無事に(適当に)お焼香を済ませると
敬二はいよいよ火葬場に運ばれた。
もちろん大往生の敬二の葬式に涙する人は
1人もいない。
火葬場に着くと
いくつかの棺が並んでいて
身内を同じ頃に亡くした事だけが共通点の
知らない家族の群れが点在していた。
喪主である叔父が2階から降りてくる。
その後ろを叔母が祖父の遺影を持って
俯き加減で歩いている。
棺の周りに親族が集まり
いよいよ敬二が焼かれる時がきた。
私もさすがに
「ああ、おじいちゃんとお別れだな」と
涙のひとつが頬を伝うような
感傷スイッチが入るその時
後ろにいた従兄弟の微かな笑い声が聞こえた
私は振り返り「どうしたの?」と小声で聞くと
従兄弟は必死に笑いをこらえながら
今まさに棺の入った火葬場の扉の横に飾られた
敬二の遺影を指さした。
その写真は祖父が亡くなる少し前に
老人ホームで撮られたものだった。
こどもの日のイベントのようで
新聞紙で作られたお手製の兜を頭に被らされ
ゴツゴツの曲がった指でダブルピースをする
ふにゃけた敬二がいた。
遺影って生前の一番キリッとした
最高の1枚が飾られるはずじゃないの?
親族によって選ばれた祖父の写真は
チャキチャキの江戸男の面影が
見事にそぎ落とされた
今までに見た事のない
そして見てはいけないような敬二の姿だった。
その完全に火葬場のコンセプトに合っていない
ポップすぎる敬二の写真は
なぜか1ミリも引き伸ばされておらず
額縁とのサイズまでもが合っていなかった。
大きな額に小さい写真が下の方に
ぽつねんと一枚貼り付けてあるだけの遺影。
ダブルピースをする笑顔の敬二と目が合った。
とたんに私は堪えきれず吹き出してしまった。
焼かれている敬二を前に
(ダメだ、止められない)
シュールでファンキーなその遺影の様子に
もうどうにもおさまらない私の笑いは
次々と親族に伝染していき
火葬場という厳粛な場で
大爆笑という結果をもたらせた。
7年経った今でも思い出すと笑える
色褪せない祖父の最後のエピソードだ。
そんな写真を選びポラロイドサイズのまま
持ち込んだ叔母もどうかしているが
沢山のろくでもない話が満載の敬二が
大爆笑の火葬場という
最高な雰囲気を作って骨になっていった。
死んだことを悲しまれなかった敬二
連れ添ったおばあちゃんに参列を拒否された敬二
適当にお焼香されてしまう敬二
変な写真を選ばれた敬二
引き伸ばして貰えなかった敬二
だけど、やっぱりあなたがいたから私がいる。
破天荒だった祖父の人生の最終日。
うん、ダブルピースだったね、おじいちゃん!