見出し画像

忘れられない

昼間片付けをしていてガラケーの充電器が出てきたので久しぶりに充電した。

中身のデータを消すための充電だったけれど、ふと思いついてメール受信BOXを開いてみた。

保存されたいくつかの古いメールに混じってそれはあった。

2010年07月31日。

吹奏楽の先輩がくれたメールだ。

もう消えてしまったと思っていた。

でもそれはあった。

私はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

眠気が吹き飛んだ。


先輩は私から見て完璧な人だった。

コミュニケーション能力に欠けて引っ込み思案な私は自分のことをどうしようもない欠陥人間だと思っていたけれど、

先輩はコミュニケーション能力が高くて面白くて気が利いて、親しみやすい綺麗な彼女もいて、楽器もうまくて頭も良くて

世界が違う人のようだった。


彼と同じ楽器を担当する私は、そんな人と関わること自体が恐れ多いと思いますます口下手になるばかりだった。

ある時、そんな先輩と帰り道が同じになって数十分一緒に歩くことになった。

私は恐怖した。

何を話せばいいのかわからなかったから。

でもていのいい断りの文句などコミュニケーション能力の低い私に思いつくはずもなく、私は家まで送ると言う先輩に感謝することしか出来なかった。

帰り道の間、どうしたらいいかわからなかった私はとりあえず何か喋って間が持てばと思い、頭に浮かんだことをとにかく話した。

何を話したのか覚えてはいない。

ただ覚えているのは、家に着いたときにすごく嬉しかったこと。
なぜなら気まずい沈黙がなかったからだ。

今の私は気まずい思いをしないで済んだのは先輩のコミュニケーション能力のおかげだと思っている。

口下手な人間がただ思いつくまま話す内容が面白いわけない。それでも言葉のキャッチボールを途切れさせずに話してくれた。先輩の力だ。

しかし当時の私は「こんな駄目人間の私でも会話を続けられた!」と大きな喜びを感じていた。
その経験が自分への自信を持つ一端を担っていたのは間違いない。

先輩は話す相手に自信を与えられるほど聞き上手で話し上手だったんだと思う。すごい人だ。


そして時は過ぎた。

最高学年だった先輩は引退し、誰もが知るような大企業に就職した。そしてまた次の先輩も引退し、私が最高学年となり吹奏楽コンクールの時期が来た。

コンクールの前日、ケータイに先輩からメールが入っていた。

それは完璧なメールだった。

軽い挨拶。最後のコンクールを迎えたときの先輩自身の気持ち。前向きな言葉。励まし。

少しおちゃらけたような文章の中に、共に演奏した期間が1年にも満たない私の性格を的確に分析し配慮する言葉まで入っていた。

最後の追伸に至るまで、それはコピペしたような当たり障りのない励ましメールではなく、私のことを考えて書いてくれたことがわかる私のためのメールだった。

そして追伸に私は驚いた。

その吹奏楽団では、同じ楽器を担当する人同士誕生日プレゼントを送り合う習慣があり、私は先輩のプレゼントに本を贈っていた。

本はコミュニケーション能力に欠けた自信のない人が書いたようなエッセイで、私は異なる世界を生きる先輩に「こんな駄目人間の世界もあるんですよ」と知らせようとして贈ったのだ。
どうせ先輩は共感できないでしょうけどと思いながら。
(違う世界の人に何を贈ったらいいのかわからなくて困った結果そういうチョイスになった。この選び方を見ても人付き合いに慣れていないし傲慢で恥ずかしい)

ところが先輩は2年後のメールでその作家にはまっていると伝えてきたのだ。

私は完璧なメールに感激しながらその追伸に驚いていた。

先輩みたいな完璧な人でも駄目人間のエッセイを楽しめるなんて……。

もしかして先輩は私が思っているほど完璧な人じゃないのかもしれないと思い始めた。
(もちろんこの駄目人間おもしれーと思って読んでいた可能性はあるのですが当時は自分が共感しながら読んでいたのでそれ以外の読み方があるとは思わなかったのです)


そして私に完璧なメールをくれた2年後、先輩は亡くなった。

詳しいことは知らない。

でもどうやらかなり悩んでいたらしいということだった。


私に人と話す自信や完璧なメールをくれたあの先輩が?


私は今でも先輩が生きているような気がする。

そもそも先輩が卒業してから全然会っていなかったのだから、本当は生きていて、ただ会っていないだけかもしれないとも思う。

けれど本当に亡くなったらしい。

その情報によって私の中で先輩は永遠になった。
たぶん忘れられない。


あの完璧で住む世界が違って見えた先輩が、まさかこの世から自ら離れてしまうなんて



私は先輩の存在によって、他人は私が思っている通りの人間ではないことを知った。

一見スマートで、悩みなんかなくて、順風満帆そうで、そんな人でもそれは私からそう見えるだけだということを知った。


訃報を聞いたとき、私に何かできることはなかったか自問自答した。

だって私は先輩がすごい人だと思っていたから、他人からそう思われているとわかったら生きる希望になったんじゃないかなと思ったのだ。

でもわからなかった。
だって私はただの2学年下の後輩で、特に親しく付き合っていたわけでもなかったから。
急に褒められても気持ち悪いだけだったと思う。
たぶん、何も出来なかった。わからないけど。


亡くなって10年ほど経つけれど、私は未だにふとしたはずみで思い出す。

完璧に見えたけれどそうでなかった人のことを。




眠気も吹っ飛んでしまったし、どうしたらいいかわからなくなってしまったので乱文ですけどここに書きました。

あだ名で呼び合う吹奏楽団でしたが、先輩のことは本名をフルネームで覚えています。

もし今回メールが見つかっていなくてもたぶん先輩のことはずっとずっと覚えていたと思う。

忘れられない。



いいなと思ったら応援しよう!