友達が死んだ。
大切な人が死んだ。
生きることが肯定されない人なんていないのに、死んだ。
この世の努力は報われない。
報われない。
この世は残酷すぎる。
あれから大人になって今思うこと
↓
今まで
いろんな出会いと別れがある。
仕事の仲間もたくさん辞めた。
「部活を辞めたいなら辞めれば良い」
「学校を辞めたいなら辞めれば良い」
「仕事辞めたいなら辞めれば良い」
と思うけど、
やはり理由を聞いて
「もう何もかも嫌になったから」
と聞くと不安になる。
あー
「この人、
人生が嫌になった時に
死んじゃうんじゃないか」
と思ってしまうから。
人生だって
嫌なことたくさんあるのに
それでも生きていかなきゃいけないんだから。
どんな環境にいても
そこに「居ること」「生きること」は
全員が肯定されるべきなんだ。
無駄な存在なんていない。
ネガティブな理由で
会社を辞めた人に対して、
学校をドロップアウトした人に対して、
「なんで辞めたの?」
なんてあんまり聞きたくない。
そんなの私が一番わかってる。
辞めたい理由なんて聞くまでもない。
ただ、一言
「ずるい、逃げだ」言いたくもなる。
これからは
もっと多様性が受け入れられる社会になるから。
簡単に
ドロップアウトしなくても良い
そんな場所を。
生きる性別も
住む家も
行く場所も
食べる場所も
生活する国も
職業も
推しも
全て選べる国にいるんだ。
もちろん前までは
全てが選べることが嫌だった時期もあった。
全てが決められていたら楽だって思ってた。
将来の職業もなんでも
決められていたら楽だったよな、
こんなこと言ってはいけないかもしれないけど
もっと貧乏な家に生まれたかったとか
障害のある子に生まれたかったとか
そういうのがあればよかったとか
思ってしまっていた時もあるけど、
私が貧乏で障害がある子に生まれた時点で
どうせ「もっと貧乏でもっと障害がある子」
になりたがるだろうし。
死にたくて
興味のままにとにかく知らない人について行ってみたり
殺したくて
夜な夜な親の寝室に包丁を持って行こうとしたり
何も聞きたくなくて
耳を壊そうとしたり
何も見えなくなりたくて
わざと部屋を暗くしてTikTokをみた
わからないことが多すぎて
全部ぎゅっとしたら
「死にたい」になっちゃう。
だから
一個ずつ紐解いて欲しい。
でも本人に「紐解く意思」が残っている
余力のある時に語りあわないと救えない。
もっと早くに気づいてあげるべきだった。
もう、ぐちゃぐちゃになった時には遅い。
「私の分まで頑張って」なんて言われてしまって。
ふざけんな。