クリスマスが近づくといつも
好きかどうかわからない時、たいていの場合好きじゃない。好きじゃないことを受け入れたくなくて、わからないとかいってるだけだ。
はじめて人を好きになったのは、中学3年生のころ。15歳だったけど、ちゃんとこれはほんものだってわかった。クリスマスが近づいて、毎年思い出す。
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塾が終わって、駅からバスに乗った。一番後ろのはじっこの席に座って、大きな公園のそばの終点まで。イルミネーションなんてない街を眺める。ダッフルコートのトグルを上まで留めて、フードまでかぶって、バス停から恋人の家まで歩いた。雪が降っていた。
制服のスカートからのぞく太ももを0度の空気が刺した。だけど、クリスマスの夜。それすら厳かで味わうべきものだと、ちゃんとさなかでわかっていた。
同じ中学3年生なのに、一人暮らしの彼。正確にいえば、母親とのふたり暮らしだったが、母親はいつも家にいなかった。
彼の住むアパートの名前には、当時一番仲がよかったAちゃんの苗字がついていた。とても大きな家に住むAちゃん。ちいさな経済圏。私は気づかないふりをする。
アパートの鉄の階段を登る。カンカンって音が響かないように静かに。深呼吸をして、ドアをノックする。ドアがあく。手をひっぱられて抱きしめられる。
目も鼻も口も、彼のパーカーにぱふっとなる。彼のせいで私はこの先、背の高い男が好き。抱きしめられたとき、ひとりで肩の向こうの景色なんて見たくない。
玄関で脱いだダッフルコートを預かってくれる。代わりにあったかいココアをくれる。
「帰ってくる時間だと思ったから、いれておいた」
あったかいマグカップに、手がビリビリした。
「寒い日に帰ってくると、いつも自分でココア作るんだよ」と笑っていた。
いつも、ドアをあけると上着を預かって、あったかいココアをくれた。泣いていたら、ゆたんぽを作ってくれた。ねえ、ーーくんはかなしいときに、ゆたんぽを作ったりしたの? それとも、誰かがそうしてくれたの?
彼が暮らすなかで作ってきた、彼の暮らしの決まりごと。あったかいココアを飲みながら、ゆたんぽを抱えながら、彼のあたりまえが私に染みていくのを幸せに思った。はじめての、家族以外の暮らしのセオリーだった。
人を好きになるたびに思う。生まれてからこれまでどんなふうに生きてきたの、って。
それから別の人と付き合っても、付き合い始めのころいつも、子供のころ何になりたかったとかどんな習いごとしていたとか、生い立ちを夜な夜な話して、聞く夜があった。そういう夜が特別に好きだった。
そういうのがダサい気がしてできなかった時は、ショートカットとして体の関係をもった。「セックスへのスタンスは人生へのスタンス」かもしれないし、「今までどういう人と関係をもったのか邪推することはできる」かもしれないから、まあショートカットではあるんだけど、やっぱりどんなふうに生きてきたのかまでは一発でわからなかった。(一発とは)(この段落いらなくね?)
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表参道も恵比寿も汐留も丸の内も六本木も行かなかったクリスマス。
見たのは、部屋で並んでお話しながら見た、オレンジ色に灯るヒーターだけなんだけど、一番クリスマスらしいクリスマスだったように思うの。
たぶん、お祈りするような気持ちでいたからだろうね。願わくばずっと、彼の生まれてから今までのこと、今が過去になる未来のこと、知りつづけたかった。迷う瞬間なんてなくて、ずっと彼のことだけを寸分違わず理解したかった。好きで好きで、人生を照らし合わせて重ねたくてしかたなかった。彼のしてくれるひとつひとつを尊いと思った。
そういうのが好きじゃないなら、もうよくわかんないよ。好きかどうかわからなくなるような好きなんて、あってほしくなかった。
P.S. 私にとってココアがお守りみたいな飲みものなのは、この話に由来するのだ。彼の暮らしのセオリーの一部は私のものになって、過去は12年ぶん増えて。(サポートの文章をみてね)
今年の恋は、今年のうちに。