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あの夏があるから

男の部屋で借りたでかいTシャツを着てる時がいちばん可愛い。ぶかぶかなTシャツのおかげでとびきり華奢に見える肘下。「ほっそ、折れそうじゃん」とさっきつかまれた。

「このみちゃん、お酒飲める子?」
一度くらい、いたずらっぽく「うん」って言ってみたかった。一度じゃなくて何度も。お酒が氷で完全に薄まった頃「もう?しょうがねーな。貸して、飲んでやる」って言われるのも好きだけど、やっぱりがぶがぶ飲んで「飲むねーいいねー」って言われてみたかった。

夏なのに型を抜くまえの焼いてないクッキー生地みたい、ひんやり白くてふにゃふにゃな私の体。もう全然飲めない。さっきまで酔っ払って暑かったのに、もう熱がひいて頭が痛い。

「力入らない」って、生地を天板に乗せるみたいにして、体をぺたっと背中にくっつける。男のひとの体は、皮膚の下にちゃんと筋肉があって、私よりいつもあったかい。

「しょうがないな」と言って、私のことをベッドに寝かせたあとは、隣でゴッドタンでもつけて添い寝してることが多い。時々、私だけをロフトに連れて行ってくれる。遠のく意識のなかで階下から聴こえる、アコギの音はくるり。

「いいなあ、お酒って。孤独を薄める飲み物なんでしょ」「ばか言うなよ」
はちみつ色にふわふわの泡が乗っていて、甘くて美味しそうなのに、苦くて全然飲めない。

今日で何夜目、何軒目だろう。だって一番可愛いんだもん、男のひとの家に泊まって、貸してもらったぶかぶかのTシャツを着た私が。それしか愛せないんだもん。

とか言ってまた何夜か過ぎようとしている夕方、今日は男子学生寮で目をさます。昨日は男の子の部屋で明け方まで映画観て、そのまま眠っちゃったんだ。テーブルに目をやると、置き手紙とミネラルウォーター。

「水飲んで。あと冷蔵庫にサンドイッチが入ってるから、食べて」と。彼はバイトに行ったらしい。勤勉でえらいね。私はバイトなんてしない。飼い猫みたいで悪くないな、とベットの横の壁に足を立てかける。ふとバイブが鳴って、15時間ぶりにiPhoneに手を伸ばす。

君だった。もう会えないと思っていた人。いや、連絡がきても、1つ間違えれば二度と会えない。

夢だと気がつきながらも、覚めずにいようとする時みたいに、細い意識の糸を、その張り具合を保つようにして、そうっとつま先からベットをおりた。しばらくぶりに足の裏に体重が乗って、びりっとする。全然、クッキー生地なんかじゃない41.8kg。ぶかぶかのTシャツを脱ぐ。髪をとかす。リップを塗る。監視のおばちゃんの目をくぐって走る。こんなに賢く早く走れるなんて、全然、飼い猫でもない。

君は、私の家のまえにいた。
「どうしたの」「どうもこうも」
部屋に入ればベッドで大の字。なんでよ。

もうだめだ、と思って君の上にまたがって座る。目を見る。言うしかない、言うしかないのに、急に喉に壁ができて、声が上にあがってこない。こんなに言葉って出てこないんだ。あったかい筋肉がついた胸板に手を乗せて、しばらく君のシャツを握ったり、わかってよと胸をトンとした。

やっと出てきた言葉は「好き……だからもう会えないのは無理…」。

「好き」以降の言葉はなに。
あとに続く間を想像して恥ずかしくて、とっさに出た言葉。嘘はないけど、全然かっこよくない。

起き上がって君が言うのは「じゃあ行くのやめた、イタリア」。

え? だってもう3日後じゃん、飛行機は?お金は?住む予定の家は?

質問攻めの私に「いーの!」と言って「焼肉屋さん行こっか」と言う。19時の空、綺麗な夕焼けのグラデーション。まだ暑い多摩ニュータウン通りを歩きながら「ねぇ本当に大丈夫なの?」と何度も確認する。そんなふうに言いながら、命ごとうれしくて、世界がくっきり見えた。この時の私はどんな服着てたって、一番可愛かったと思う。

私がバイトをしていなかったのは、君がこんなふうに、いつ会いに来るかわからなかったから。一度も逃したくなかったから。私が男のひとの家ばっかり行ってたのは、君が欲しくて寂しくて仕方なかったから。

焼肉屋さんでビールを頼む君につられて「私も」と言う。「飲めるのかよ」と笑われたけど、「ああ、今日がもしかして」と思ったの。

「乾杯!」と思いきりグラスをぶつけて笑って、ごくんとしたビールは、はじめて見ためと味と気持ちがぴったりで、おいしかった。ずっと何も飲んでなかったからでも、走ったからでも、孤独が薄まるからでもなくて。ただ染みわたる、はちみつ色の飲み物。

あれから大人になった?
お酒は、がぶがぶ飲めるようになった?
まだまだだけど、あの夏言えてよかったと思うことだらけなの。
あれから7年。君の家に待ち伏せて、乾杯しよう、今もそばにいられること。

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お酒が孤独薄めるのくだりは #キリンジ

急に雨が降ってきた時の、傘を買うお金にします。 もうちょっとがんばらなきゃいけない日の、ココア代にします。