いつか花束みたいな恋をした
生きていることのつめたく淡々とした感じに、淡々と涙が止まらなくなった。日記をつけて、深夜1時。泣きながら熱いシャワーを浴びて眠った。
翌朝7時に起きて、朝食を摂って着替える。座りやすいようにロングワンピース。バスに乗って歌舞伎町まで。はんぶん眠ったままみたいな感じで映画館の座席にからだをうずめる。
レイトショーもそうだけど、人が眠っているような時間に映画館にいると、なんだかいろいろがどうでもよくなって、座席でぐでんとしてしまう。8:20って、人はわりと起きてるか。でも歌舞伎町だから、昼までみなさん寝てるでしょ。劇場に人はまばらだった。
映画を見終わってiPhoneの電源をつけると、彼から着信とメッセージがあった。かけ直す。
「このみ? 眠ってたんでしょう、たくさんすやしたね」
「違うよ、映画を観終わったの」
「ふうん、なんの映画?」
「坂元裕二脚本の花束みたいな恋をした」
京都で大学生してた彼にはわからないかもしれないけど、京王線沿いで大学生してたわたしにとって、多摩川は鴨川なわけで、観ないわけにはいかないのよ。
「どこで観てるの?」
「テアトル。…じゃなくて東宝」
「えっ、新宿にいるの? 今AALIYAでフレンチトースト食べてるからおいでよ」
東宝からAALIYAまでは11分。うちからAALIYAまでは27分。16分違うだけなのに、「おいでよ」って言ってもらえるのは、地名が同じだから。同じ名前の土地にいると、「近く」みたいだから。走る、伊勢丹、UFJ銀行。数ヶ月前、ここでわたしたちは指輪を買ったあと、UFJでお金を下ろした。
AALIYAへの階段を降りて見渡すと、彼がいた。テーブルにはなにもない。フレンチトーストは、もう食べ終わったみたい。
彼の指輪をとって親指にはめて、ミルクティーを飲んだ。(わたしはひとりでいる時、指輪をつけない)「『推し、燃ゆ』読んだ?」「『かか』しか読んでない」くらいしか会話をせず、飲み終わってすぐ店を出て手を繋いだ。
「ルミネに用事があるの」と言うと、彼はルミネまで送ってくれると言った。午後は仕事があるみたい。「帰るのに遠くなっちゃうから、途中まででいいよ」と駅構内で立ち止まる。「そう、じゃあ」持ってくれていたChloeのちっちゃい鞄をわたしの肩にかけなおして、コートのボタンを上まで留めてくれた。「よし、これであったかい」手を振って背を向けて歩き始める。30分も一緒にいなかった。
彼の教えてくれたとおりに歩いたはずなのに、すぐに行き止まりになって、彼の言ったとおり迷って花屋さんに着いた。淡いブルーのデルフィニュームとピンクのポピーとかすみ草の花束…はなかった。今日くらい買ってもいいかと思っていたのだけど。
花束。花束みたいな恋、をしたのは大学2年生から社会人2年目まで。出会ったばかりの夜中に時計仕掛けのオレンジ観せられて、簡単に好きになっちゃった、という大学生らしさ満点のエピソード。
就活が嫌で、出遅れながらひとりで真っ黒のスーツ着て、行ってきますして泣いて帰って来られなくなった日、バイクで迎えにきてもらった。内定が出た日はスーパーでお寿司と唐揚げとお酒買って帰って、元気よく「ただいま! 今日はわたしの奢り!」って乾杯したけど、全然働きたくなかった。
新卒で入った会社では、パズドラみたいなゲームを作ってた。サラリーマンが暇つぶしというか疲れた脳でもできるようなゲーム。嫌だった、「パズドラしかできないんだよ」っていう人も『人生の勝算』みたいな本読んじゃう人も。そんなふうになるくらいなら、働かないほうがずっといいと思ってた。けど、彼が1年働かなかったから、わたしたちは別れた。黙っていれば、結婚もできたかもしれない。
ってわたしは今日も日記をつける。大学生の頃、ちいさな革命が起きた翌朝はいつも「浸ってたい、まだ上書きしないで、誰も話しかけないで」と身をぎゅっと固めて帰ってきてすぐ日記をつけて、アイスクリームを食べたら眠ってしまって、起きたら夕方…だったね。昔から変わっていないように見えて、変わったことがある。人生ではじめて、終わらないと思える恋をしていること。
今まで「別れのつらさに耐えられないから付き合うのやめよう」って好きな人との交際を断るくらい、終わるとわかって恋をしていた。けど、今、終わらないと思うのはなぜか。
たぶん、もう大きく変わらないと思うから。彼もわたしも、よくもわるくも。大人になったあと会ったから。違うところがたくさんあるのもわかってる。テーブルをはさんでおしゃべりをしない。隣で手を握って歩く。理不尽がいっぱいある社会をうまく渡っていけるように。
結婚式もしない、子どもも生まない、淡々と仕事をこなして生活する、けど抱きしめて眠る夜に「幸せ」って彼が呟いたから。わたしも彼も、寝転んでふたりのことについて話すのが何より好きだから。続けようよ、わたしたちがわたしたちの誰よりの味方でいられる生活を。
映画の終わりはなんだかさわやかだった(ハンバーグ的な意味じゃなくて)さわやかだと思えるのはきっと、花束を心の奥にもって、また人を好きになったから。
昔の恋人、初詣の時に「このみが元気でいられますように」ってお祈りしてくれた。真冬にコートを貸してくれた。昔の恋人が教えてくれた音楽と映画と小説をもって、彼と出会って仲良くなった。いつのまにか彼は、わたしのコートのボタンを上まで留めて、元気でいられるように気遣ってくれるようになった。
ねえ、今日のコートの下のロングワンピース、前にふたりでAALIYA来たときと同じワンピースだよ、偶然。「あの日さあ」って、ふたりで話しはじめて、今度は新宿が思い出の街になる。今度はもう、ひとりで振り返らなくていい。