見出し画像

真夜中12時の衝動


気付けば夜の12時を回っていた。

会社では残業をしない上の人たちが
省エネ省エネと謳ったせいで、
最低限まで薄暗くなったオフィスに
佳菜子は1人
パソコンを前にして項垂れていた。


社内はとても静かだ。

どこから聞こえているのか分からない
機械音だけが響いている。

30を超えた佳菜子には、
この光や音を恐怖に感じることは無かった。

例え幽霊が出たとしても、
次の日若いOL達に話す形で
笑い話として消化してやる。

それくらい、
今の佳菜子には余裕が無かった。


項垂れながら悩んでいると
スマホから1つ、振動と共に灯りがついた。

誰からかは分かっていた。

母親だ。


『今日も遅くなるの?
コウちゃん、楽しみにしてたけど
諦めてさっき寝ちゃったわよ』


佳菜子は返信もせずにスマホを閉じた。

そんなことは分かっていた。

今日は孝介の誕生日だ。

何がなんでも日付が変わるまでには
帰りたかった。


【素敵な大人女子!シングルマザーの働き方】

パソコンの画面には縦長でデカデカと
記されている。

納期ギリギリで回ってきたこの記事には、
ページ1枚分にハツラツとした女性が
カジュアルなジャケットを羽織って
おまけにテイクアウトした
コーヒーを片手に持っていた。


詐欺にも程がある。


実際のシングルマザーは、
今目の前にいる私が本物だ。

佳菜子は画面を薄目で睨みつけた。


朝は息子の面倒で手一杯なので
自分の成りなど構ってはいられない。

家計を支える為に仕事へベクトルを置くと
息子との時間が取れなくなる。

転職活動をする時間も惜しい程
仕事が終わらない。

何故働いているのか分からなくなったまま、
夜遅くタクシーを使って帰宅して
ロクに化粧も落とせないまま、
次の朝を迎えている。

こうして私の1日は
繰り返されていくのだ。


佳菜子は校正が一通り終わると
フゥッと大きく溜息を吐いて
廊下の自動販売機に向かった。

本当は、急に穴の空いたこの記事の担当を
断れば良かったのだ。

そうすれば誕生日の瞬間を孝介と
迎えられることが出来たし、
計算ではそのつもりだったから、
「誕生日は孝介と一緒にいられるかも」
なんて口走ってしまった。

120円入れてボタンを押すと、
無糖の缶コーヒーが落ちてくる。

隣に置いてある
青くて固いベンチに腰掛けて
頭を抱えた。


あの言葉さえ言わなければ。

今、これ程罪悪感をもたずに済んだのだろうか?


それとも、あの時
「シングルマザー特集なんだけど」
と、チラッとこちらに目線を向けた上司から
わざと視線を外して少し下を見てれば
こんなことにはならなかったのだろうか?


前の休み、康介は
「誕生日、お父さんと会える?」
と無邪気に聞いてきた。

いや、その無邪気さも最早
薄まっていた。
一応、念の為聞いているような声だった。

旦那と別れて、
3度目の誕生日だ。


何が歯車を狂わせたのだろう。

どこから間違えたのか、
ロクに頭も回らなくて、分からなかった。


コツコツ、と足音が聞こえてくる。
音が大きくなるにつれて、
懐中電灯の灯りも視界に現れた。

警備員の見回りだろう。

佳菜子は、驚かせないよう
わざと咳払いをして
存在感を出した。


「あれ、まだいたんですか」

「えぇ、よく会いますね」

佳菜子が残業する日と
警備員のシフトが同じなのか、
よく会う警備員だった。

特に深く会話することは無く、
警備員は軽くお辞儀し、
次の目的地へと向かっていた。

「あの!」

佳菜子は立ち上がり、
警備員を呼び止めた。

「他の人って、もうみんな帰っちゃいました?」

「恐らく、本部長以外は帰ったんじゃないかな」


本部長も深夜残業仲間の1人だった。

佳菜子は警備員が去るのを待つと、
自分のオフィスとは反対側を向いて
階段を降りた。


無性に、何か少しだけ
悪いことをしたくなったのだ。


佳菜子は資料室と書かれた部屋の扉を開けて、
電気をパチっとつけた。

佳菜子のオフィスは、
パソコンで過去のデータが
簡単に取り出せてしまう。

ここは、現物を必要としない
部署にいる佳菜子が
唯一入ったことのない部屋だった。

足を踏み入れると、
少しひんやりとしていて
やや湿気が少ない。

数え切れないほど沢山並んだ雑誌。

それだけで、
忘れかけていた心臓の鼓動を
思い出した気がした。

資料室は6列ほどの棚で出来ていて、
どれも過去の雑誌の記事や
情報が詰まったファイルだった。

『1990年 5月』

青いファイルにラベリングされている。
佳菜子の生まれた年だった。

慎重にファイルを取り出し
ペラペラとめくる。

記事はビニール製の透明な袋に
包まれており、
破損がないよう丁寧に扱われていた。

『派手でオシャレなヤンママ特集』

この頃から雑誌のターゲットは
主婦に向けられていたようだ。

佳菜子が今所属している部署は
ファッションよりも家庭に目を向けた
月刊雑誌が主となっている。

でも、どれも綺麗事だ。

リアルじゃない。

こんなに美しくて
身のこなしがスマートな
シングルマザーやヤンママに
焦点を当てても、
買うのは皆付録や
タレントページ目当てに決まっている。

私だったらこんなタイトルは付けない。

私だったら…。


佳菜子は青いファイルを閉じて
きちんと元の場所に戻すと
周りを少し気にしながら
オフィスへ戻った。

Delキーを押す。

カタカタと、キーボードの音がする。

『たまには自分にもご褒美を!
シングルマザーの働き方』

こういう風に、
もっと寄り添った記事を書きたい。

自分を見失う前に、
心臓の鼓動を確認するくらいの時間は必要だ。

タイトルを変えただけで、
モデルの持つコーヒーが
普段は買わないちょっとした
ご褒美に見えた。

時刻は夜、12時を回った頃の
衝動である。


佳菜子は缶コーヒーを飲みながら
既に孝介の誕生日ケーキのことを
考えていた。


挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=1qimp2o6ew9dd

画像1


よろしければサポートをお願い致します!頂いたサポートに関しましては活動を続ける為の熱意と向上心に使わせて頂きます!