0035【軽やかに】
おはよう御座います🌄😊💖
今日は令和3年3月7日日曜日、
紀元2681年(西暦2021年)弥生、
旧暦1月24日。
今日の一言は、
「軽やかに」です。
春一番が吹き、
色鮮やかな草花を見ると、
確実に春の訪れを感じますね。
日本は四季折々に恵まれ、
無常であることを、
自然とともに感ずることが出来ます。
「無常」という言葉は、
平家物語の冒頭、
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
と小学生の時に習った時には、
何とも厭世的な気分になったものですが、
「無常」というのは、
本来の仏教用語では、
別に悪い意味に使うわけではなく、
森羅万象全ての現実存在は、
姿も本質も常に流動変化するものであり、
一瞬と言えども存在は、
同一性を保存することが出来ないという、
実に現象を捉えている言葉ですね。
私達の身体も細胞も、
常に新陳代謝で入れ替わっているわけで、
一時も私という実存は同じではないのです。
ところがどうしたことか、
私達は形状記憶のように、
勘違いすることがあり、
過去に縛られて、
過去が未来永劫続くかのように、
錯覚してしまうことがあります。
若さは過ぎ去っているのに、
まだ若いつもりで、
イタかったり、
もう厳しい冬は過ぎ去っているのに、
いつまでも分厚いコートを、
着込んで汗をかいて風邪を引く、
傍から見ていると滑稽にも思えますが、
なかなか本人にしてみれば、
もう必死なわけなので、
そんなことに気づきもしません。
無常であると知りさえすれば、
その時に応じて、
変化することを愉しめばいいのですが、
どういうわけか、
人間の記憶という装置が邪魔をして、
今の変化を見たり感じたりすることが、
出来なくなってしまうこともあります。
そういう時は、
自分の内側に集中せずに、
ふっと顔を上げて、
周りを見渡してみましょう。
頬に痛いような冷たい空気ではなく、
ふわっとやさしい温かい風が触れるのを、
感じてみましょう。
その変化に気づいて、
自分の身体を感じると、
重いコートはもう必要ないと、
わかります。
耐え忍んだ厳しい冬は過ぎ去り、
木々には柔らかい緑の葉っぱが、
芽吹いているのです。
小鳥は春の到来を喜び歌っています。
固く冷たい大地も、
柔らかく温かみを増しています。
昔子供の頃に、
流行ったキャンディーズの曲、
もう知らない人も多いとは思うので、
歌詞を抜粋します。
♪~
泣いてばかりいたって幸福は来ないから
重いコート脱いで出かけませんか
もうすぐ春ですね
恋をしてみませんか ~♪
この歌詞のように、
軽やかに、
街を郊外を自然の中を、
散策してみましょう。
これまでの、
古くなってしまった息を吐ききって、
新鮮な空気をいっぱい吸い込んで、
身体の隅々にまで、
春の息吹を行き渡らせて、
深呼吸をしましょう。
今日の一言は、
「軽やかに」。
鼻歌でも歌いながら、
スキップをする大人って、
最近は見かけませんが、
(昔もいなかったかもしれませんが)
こっそり誰も見ていないところで、
裸足になって草の上をスキップしたら、
どんなに楽しいかと想像します。
「軽やかに」
ダンスのステップを踏むように、
新しい今日という一日を歩きましょう。
それでは皆様ご機嫌よう💖🌄😊
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