猫の日③【エッセイ】

無責任な私は猫を飼わない。
飼ってはいけないとの自覚がある。
そんな自覚もまた、
手前勝手に何言うとんねん、
なのだろうけれども、余っぽどの覚悟が無いかぎり猫との関わり方においては、深入りしない。遠くから眺める。

それでも猫好きを自称して、
いつでも探してしまう、どっかに猫の姿を。
それで、"かねこ歯科"の看板に、ハッと反応したりする。
猫番組は観てしまうし、各種SNSでフォローするのも猫関係が中心だ。
要するに私に都合の良いところだけを掠め取って、慰めて貰おうというのだ。

実家のほうでは両親が二代目猫と暮らしている。私が家を出てから飼い始めた猫なので、盆暮れ正月くらいにしか帰ってこない私には、一向になついてくれない。ちゅ〜るを持っているときにだけ、近寄ってくる。

現在住んでいるマンションの自転車置き場にも猫がいる。
サクラの耳をした地域猫で、少し前までは似た柄の血縁らしい猫と二匹でいたけれども、今は一匹で、バイクのシートで香箱作っていたりする。

何人かの住人が世話をしているようだ。
ちゃんとお世話してくれる人がいるなら、私はもう、全面的にお任せである。
サクラ猫のほうでも、エサをくれる人のことをよくわかっていて、彼らの姿を見れば甘えた声を出しながらすり寄ってゆき、お尻をポンポンされては、恍惚の表情だ。

それを私は少し離れたところから見ている。
基本的には無関心を装っているけれども、たまに気が向いて人差し指を彼の鼻先につき出してみる。すんすん嗅いでもくれない。いつでも逃げ出せる体勢で緊張感を醸し出してやがる。

エサをやらない人間への対応なんざ、こんなもんである。

私ごとき自分勝手な猫好きではこれくらいのつき合い方で満足すべきなのだ。

そんな私が猫の日を寿いでいる。

いいなと思ったら応援しよう!