山下一路 歌集『世界同時かなしい日に』を読む



郵便ポストのように自販機は無くなる自販機の下の世界も
自販機を乗せたブロックに顔おし付けて落ちている硬貨を拾う

世界同時かなしい日に雨傘が舗道の上をころがる制度のような驟雨
いつまでも大国だと思っているきみとの職場とてもたのしい

むかえに行くよ 世界同時晴れた日にビーチサンダル履いて海まで
こころの悲しい潮溜まりくるぶしの上まで濡らしている引き潮

なんでもお取り寄せのできる世界だけど銃がなくても人は死ぬ
閉まったままのロッカーが心配な隣のロッカー下のロッカー

この星に投身をする少女のように海底へ降りてゆくレジ袋
水銀の海に溺れてユニクロの試着室から出られぬアリス

山下一路著 歌集『世界同時かなしい日に』 書肆侃侃房 (2024年刊)より

順不同で、気になった歌を引用してみた。
最初の二首は離れたページにある歌だが、自動販売機つながりで並べさせてもらった。日頃目には映っているけれど、意識して見ていない場所を凝視し、さらに手を突っ込んでいくところが興味深い。
五首目・六首目は抒情が素直に伝わってくる。
七首目は、「世界だけど」と「銃がなくても」の間に(銃は取り寄せできない、が、)といったことばを省略しているかと想像して読んだ。この省略は効果的だと思う。歌の途中で意味がきれいなジャンプを見せてくれている。

字足らずの歌が散見される。七首目しかり、ところどころ、ことばのつながりに省略や飛躍があって、読み手が補って読む必要はある。ことばを千切って投げて寄越すような文体。粗暴というのではなく、照れくささゆえにぶっきらぼうを装っている感じ。
作者が採用している「ボク」「キミ」という人称から、「自分は書生の立場で詠んでいますよ」と宣言しているようにも感じた。

『世界同時かなしい日に』は著者の第三歌集(遺歌集)になる。巻末には第一歌集『あふりかへ』と第二歌集『スーパーアメフラシ』の抄録が収められている。『スーパーアメフラシ』抄より、以下引用。

つぎつぎと夜のプールの水面を飛びだしてくる椅子や挫折が
終わりだと気付きはじめてガタガタと身を震わせている脱水機
社会には食うためだけの情熱や努力の後の盛り塩がある

同上

作者の中にはたくさんの気付きがあって、それらの気付きのうち、気が向いたものだけをひょいっとつまみ取って、軽やかに歌に書き留めていたのではないか。こんな歌大したことないよ、という手つきで。深刻になり過ぎるのは逆にダサいよね、とでも言いたげに。
『スーパーアメフラシ』の表紙にあしらわれた若い女性(女子高生?)とアメフラシの奇妙な組み合わせ、女の子のうんと短いチェックのスカートとハイソックスの姿を忘れることができない。

いいなと思ったら応援しよう!