痛み分け――鉗子分娩の記憶(3)
鉗子分娩の件をY先生に話した後、気付いたことがある。
まず、母が出産についてネガティブな記憶を持っていたことを思い出した。難産をした母がそう感じたのは無理からぬことだと思う。
もうひとつは、わたしが、鉗子分娩で生まれたことに込み入った感情を持っていたことだ。
まず、鉗子分娩に対する怖れがあった。わたしは胎児の立場だったから、自分がどのような処置をされたのかは知らない。* 母の話を聞かされ、母の声で刷り込まれた怖れだ。
その上に、罪悪感もあった。鉗子の型がいって、ビリケンさんのように変形した頭で産まれて「ちっともかわいくなかった」と語る、母の声。そうか、わたしはかわいくなかったのかと幼かったわたしは思った。そして、自分が産まれてきたことは母にとって悪いことだったのかと。母に悪気はなかったのかもしれない、ただ自分がひどい目に遭ったことを聞いてほしかっただけかもしれない。だが何度も何度も繰り返される母の声は、わたしにとって呪いとなった。
どうして病院の先生はわたしの頭を金属の道具ではさんで引っぱり出したりしたのだろう。面倒な出産をさっさと終わらせたかったのだろうか。
わたしは生まれながらにして、母を苦しめたかったのだろうか。母の言う通り、わたしが悪かったのだろうか。
愚にもつかない考えだ。笑いたければ笑ってもらっていい。それでも誰も、一度もこの問いに答えてくれなかった。母というバイアスがかかっていない、本当のことが知りたかった。
それが、Y先生の「鉗子分娩やったということは、危険を回避するためにそれを選択したということやからね」ということばを聞いた時、固まっていた何かがほどけたような気がした。そうか、あれは危険を回避するために必要だったんだと。わたしと母を生かすための選択だったのだと。
*三十代後半の某日、自分が産まれ出る時の体験をヴィジョンとして思い出した。
「鮮烈なヴィジョン」https://note.com/konohanabunko08/n/n0ac54f1e5d49