立禅の教え
過去の痛みにいささか引き戻されて、感情が不安定になる日がある。先日はスーパーの牛乳売り場で何の悲しみも感じないのに涙が出て床にへたり込みそうになった。また別の日自宅で洗濯機を回していたら前触れもなくものすごい憤りが腹の底から湧き上がってきたので、机を叩いて地団駄を踏んで、泣いた。どちらも三十秒ほどの衝撃波だった。
感情は、御しがたい。悲嘆も憤激もどうしたって湧き上がってくる。
太極拳では、演舞の前に立禅をする。文字通り立ったままする禅だ。余分な力を抜いて、上半身は頭頂百会から糸で吊られているように軽く、下半身は会陰から糸で錘をぶら下げているようにゆったりと立つ。床下ニ十センチくらいの場所を感じるか、足の裏から根が生えているようなイメージを持つ。目は半眼か軽く閉じ、口中では舌先を上顎に付け、鼻から静かに呼吸をし、眉間を開いて、顔の表情もやわらかく保つ。先生はよく
「頭の中には次々といろんなことが思い浮かんでまいりますがそれを掴んではいけません。そのまま放っておきます。できれば無念無想」
と指導して下さっていた。今この文章を書いていて、それを思い出した。悲嘆も憤激も出て来るものは仕方がない。思いが出てきても、浮かぶに任せて、掴まず、放してやれたとしたら――。
とにかく、掴んではいけないことだけは確かだ。こちらが掴んだら向こうに捕まってしまう。それは今わたしが目指しているところではない。
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