忘れて下さい

Y先生のところに診察に行く。最近の体調、今出してもらっている漢方薬を飲んで感じた変化についての問診を受ける。今身体の中にあるいくつかの課題(血圧など、数値が出て生活習慣病と密接に関係するもの)について、今後の治療方針を提案して下さる。
わたしのてのひら、手首、首、舌、目と診て先生が、
「お父さん怖い人でしたか。例えば、怒鳴るとか」と訊いて来られる。
(え)と思った。
「はい、暴力をふるう人でした」
「そうでしょう、そう出ています。その恐怖が今でも影響していますね」
そんなことまでわかるんや、先生には。わたしそんな話何も言うてへんのに。
もうこうなってきたら何を言い当てられても不思議ではない。父は既に亡くなったこと、交流を絶っていたので何で亡くなったのかはわからないことを手短に話した。

診察が終わって会計を待っていたら、診察室の扉を勢いよく開けて先生が出ていらした。
「お父さんのことですけどね。もう、忘れて下さい。覚えていなくていいです。お父さんの人生はお父さんの人生です。あなたとは関係ないです。」
「それでね、もうどうしようもないんですこの問題は。解決できないんです。お父さんもう亡くなってますしね。だからもうきれいに忘れるしかないです。忘れたら、よくなります。」
待合室の長椅子に座っているわたしにそれだけを伝えると先生はすたすたと診察室に戻って行かれた。
全身から力が抜けて、茫然としてしまった。何で、どうして、とずっと抱えてきた苦しみに対する答えを、ついに、まったく予期せぬかたちで貰えた気がした。それから身体の奥の方で感情のさざ波があちこちにぶつかって複雑に干渉しあうのを感じた。泣きたいのか笑いたいのかわからなかった。〈忘れる〉というのは〈手放す〉ことなのだと思った。

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