選歌されたい欲

歌会に参加することに少し慣れてきたら、欲が出てきて、一等を取りたいなと思っていた時期があった。どうだ、と、力みかえった歌を出したりした。人の子だから、やっぱり一等賞には憧れる。一等はめったにもらえなかったが、たまには三位までくらいに入った。入賞者には先生が賞品を下さった。賞品は原稿用紙や総合誌や歌集で、重いそれらを先生はわざわざ東京から提げて来て下さった。名前を呼ばれて、みんなに拍手をしてもらいながら、先生の手から受け取る時はやはり何やらうれしく誇らしい気持ちになった。こどもじみているといえばそうだけれど、先生も、短歌も、大好きだったから心底うれしかった。

歌会の選はその場限りのものだ。その歌会で一等賞だった歌が、よその歌会で評判がいいとは限らない、どころか、同じ顔触れでも明日選歌したらまったく違う結果になるかもしれない。

ある時先生から「点数より誰が選んだかをよく見なさい」と教えてもらった。選んでもらえることはありがたい。しかしもし参加者の中に、秘かに(この人に読んでほしい)と信頼している人がいたとしたら、その人がとってくれたかどうかに注目してみるのだ。
そこに意識を向けるようになると、自分の歌がとられたとられなかったとはまた別のところに興味が湧いてくる。その人は他にどんな歌を選んでいるんだろう。どういう理由で選んだんだろう。詠草の一首一首と、交わされる互評のことばに、目を向け耳を立てて考えはじめる。そういう体験を気長に積み重ねるうちに、だんだん自分の視野の狭さがわかってくる。

しょうもないとわかっていても抜きがたい「ほめられたい欲」を、完全に手放せたとは言えない。それでも今は少なくとも「他者からの評価にとらわれすぎない」くらいの気持ちにはなっている。何かひとつのことを長く学ぶということは、そういう恩恵をももたらしてくれるかと思う。

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