珊瑚樹の実の赤

・いやだなと思ふこころの顕れを珊瑚樹の実の赤に見てゐる

先日の歌会に出した拙詠。読者には「珊瑚樹の実の赤」が伝わりづらかったとのこと。当該の植物の姿や色がわからないというのは、誰が悪いわけでもない。ただ、だからといってこの「赤」を「朱」に変えたり、ましてや珊瑚樹を南天やピラカンサに置き換えたりするつもりは断じてない。珊瑚樹の実には珊瑚樹の実の赤があるのだ。白い花からだんだん色づいてゆくマットで肉色がかった赤。熟して、だんだん衰えて、最後には黒くなってしまう赤。

歌を書く上で、わたしはどんどん自由になりたい。自由に、存分に気が済むまでことばの世界を探っていたい。短歌を書き始めたばかりの気負った自分が今のわたしを見たら、焼きが回ったと思うかもしれない。どうしたら人の心に刺さる歌が書けるかと必死になっていた三十五歳のわたしの方が感性も感覚も鋭かっただろう。今はもう、その頃の自分に恥じないでいたいと思う矜持も薄れてなくなってしまった。ただ、ことばに対する憧れだけが、ひとすじの糸のようにわたしの手の中に残っている。

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