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安易な道は安易に崩れる

「安易な道は安易に崩れる」
この言葉を教えられた時、私は18歳だった。
教えてくれたのは下北沢にあった不思議な洋服屋の人。
店員とかスタッフという言葉が似つかわしくないので、なんといったらいいのかわからない。「Space Jap」という若干自虐的な名前の店で、仲間5人でオリジナルの服やファッション雑貨を製作販売していた。お店に置かれているものはどれもたくさんは作れないから、同じものを着る人も極めて少ない。DCブランドでは飽き足らなくなっていた当時の私は、心を惹かれた。

惹かれたのは服だけではない。そんなふうに「はみ出した人たち」が、なんともいえずかっこよく、中でもその人は図抜けて普通には見えなかった。
星山さんといった。身長は190センチ近かっただろうか。
黒縁めがねをかけて短い髪をきちんとセットして、1930年代のようなスーツを着ていた。禁酒法の時代、アルカポネの時代。ジャズが「スウィング」と呼ばれ、ベニー・グッドマンがビッグバンドを率いて夜ごと演奏をしていた時代。その頃のスーツはラペルの幅が広く、身幅もゆったり目、パンツもダボダボで裾はダブル。太いネクタイ、ピカピカ光るエナメルシューズ。
『ワンス  アポン ア タイム イン アメリカ』とか『アンタッチャブル』といった映画を思い出してくれたらいい。
星山さんは、いつもそんな格好で、異様な雰囲気を醸し出していた。
初めてお店で話しかけられたときは、宇宙人のように見えてビックリしたものだ。
洋服だけが目当てではなく、星山さんと話したい一心で学校帰りにしょっちゅう遊びに行くようになっていった。

その星山さんが、あるとき、おもむろに言ったのだ。
「シンコちゃん、安易な道はね、安易に崩れるんだよ」
シンコちゃんというのは私のこと。
真理の子だから、シンコちゃん。そんな呼び方をしたのは星山さんだけだ。
なぜ、そんな話になったのかまったく想い出せない。
だけどきっと、私の話がその言葉を誘い出したのだ。
つまり安易な考えに基づいて、何かを言ったのだろう。
私は驚いて星山さんを見上げた。
「安易な道は、安易に崩れる・・・?」
「そうだよ」
その後の会話も想い出せない。星山さんは何かを話していたはずなのだが、その言葉だけが確かに刻まれた。そう、刻み込まれたのだ。

それからというもの、私は折に触れこの言葉を心の中からとりだしては自分を戒めた。
「安易な道は安易に崩れるのだから」と。
星山さんは私より10歳上なので、28歳だった。私にとっては十分すぎるほど「大人の男の人」だったけれど、今からすれば、恐ろしく若かったのだと驚いてしまう。まだ三十にも手が届かない男性が、まだそれほど人生経験を積んでいない人が、こんなことを教えたのだ。
今の私だったら、そんなふうに語る28歳の男性をどう見るだろう。「ワカモノが何か言ってるな」などと微笑ましく思うかもしれない。
だが、大事なのはそんなことではなく、「安易な道は安易に崩れる」という、おそらく普遍的真理と位置づけていいあり方を、理解度はどうであれ星山さんが私に伝え、私が大事に抱き続けたということなのだ。

なぜこれほどまでにこの言葉に反応したのだろう。
振り返ってみると、十代半ばの頃、カップラーメンが普及するのを目の当たりにして、「これからは待てない人が大半になる。すぐに結果がでないといられない人ばかりになる」と思ったことがあった。
時間がかかることを敬遠し、手をかけることを面倒くさがる傾向が助長され、いかに簡単でわかりやすいかに価値が置かれるようになる。
実際、世の中はそうなっていった。ややアンチ気味だった私は、ますます出る杭となった。
それでもなお、私の中に間違いなく「安易さ」があったはずなのだ。
むしろ私は誰よりも安易だったからこそ、「安易さ」を嫌悪したのかもしれない。
そして星山さんは、見事にそれを見抜いて、「シンコちゃん・・・」とやさしく諭してくれた。

40年近い歳月が経った。
世の流れを俯瞰していると、安易かどうかなど判別するまもなくあらゆるものが生まれては消えていく。
インターネットの発展とSNSの普及は、大衆社会を恐ろしいまでに拡大した。「レンチン」が当たり前の大衆意識が創出する世の中は、もはや安易であることがニュートラルでさえある。
コツコツ積み上げることに価値を置く(置くことのできる)人は、極めて少数派と見受けられる。
そうだろう。
なぜなら、強さがないと、できないことだから。
市場に出回っている一見フレッシュな野菜と同じだ。
野菜の多くは促成栽培のため水分ばかり多く栄養素が少ない。土壌は農薬と化学肥料の使いすぎで痩せ細っている。
こういうものをレンチンの贖罪のごとく食しているとするなら、脆弱になっても仕方ないだろう。
小さな事を積み上げていくのは時間がかかる。
結果ありきで何かに取り組むならば続けるのはつらくなる。
けれど、積み上げることでしか人は強くならず、強くなるほど積み上げ続けることが可能になる。
「安易な道は安易に崩れる」
そう教えてくれた頃の星山さんより、いまや遙かに年かさとなった。
だけど、あの頃と同じようにこの言葉を抱きしめている私は、やはり同じことを伝えたい。

安易な道は、安易に崩れる。

そして、
遠い道のりに思えることは、実は最短の道であることを、今の私は嬉しく確信しているのだ。



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石川真理子
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