つまらぬ話
かつて父の書斎に
トルストイの『人はなんで生きるか』と
『人はなぜ山に登るのか』という本がありました。
壁一面、夥しい本が並ぶなかで
その二冊の背表紙が語りかけてくるのです。
兄が、山男なので
ちゃんとした登山などできもしない私まで
その気分だけはどこかにあります。
そして、ふたつの問いかけが
大きなナップザックを背負って出て行く兄の姿と重なって
山に登るのは生きていることを
確かめたいからだろうかなどと思うこともありました。
何十年と山に登り続け
何人もの仲間を失いながら
兄は透明になっていった。
前田鉄之助という人の「剣の山嶺で」という詩に
こんな一説があります。
だが、生きてゆくのは心だけである。
人間は所詮下界のもの、矛盾と秩序の中に帰るのだ。
下界でしか生きられない人間の
その存在の滑稽さと悲哀はいかばかりでしょう。
憐憫の情は、だからこそ生まれるけれど
今やそれさえも薄れているように見受けられる。
人がいがみ合い、争う様子を
兄は透明な目で微笑します。
心を山嶺に起きながら下界に存在している。
やがては山嶺でカラスの餌食になることを
望んでいるとわらう。
自由を求め、命まで差し出すのが
山を登り続ける理由なのか、
前田鉄之助はこうも綴るのです。
山に登るのは逃避ではない。
生死を懸けて喜びを知る私。
写真:魚住心 美ヶ原
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