歳の瀬の記 12月29日
明け方、寒くて目が覚めた。
一段と冷え込んだ日、そういえば寒波が来ているのだった。
テレビはないしニュースもほぼ観ないから、すぐに忘れてしまう。体感だけが頼りになっている。
光はさらに澄みわたり、特に朝の日射しは美しすぎてうっとりする。
思わず写真を撮ると虹色のオーラが写った。
10月、松本の旅で松本民藝家具に立ち寄った際、惚れ込んだキャプテンチェア。
その日のうちに中古品を探し求め、一脚ずつ揃えていった。
真新しいものも魅力的だったが、使い込んだものは経年による独特の美しさがある。何十年と生きてきた私には、こちらのほうがしっくりと馴染む。
静かに佇むキャプテンチェアに光があたっていると、いつまでも眺めていたくなる。
外から光が当たっているのに、まるで内側からにじみ出ているようだ。
家の前にある椎の木は、もうすっかり葉を落としてしまった。
数日前までわずかに残っていたのだけれど。こうなると名残惜しい気持ちもかえって薄らいで、潔い佇まいに真冬に向かう心づもりが出来る。
朝一番に、昨晩仕込んだ黒豆に火を入れた。
煮立ったところですぐにとろ火にして、あとはひたすら豆がやわらかくなるまで炊く。
母はストーブで調理していた。ちょうどよく遠火で、ふっくらと仕上がるのだと言っていた。
私はIHコンロなので最も弱い火力に設定して放置する。
ただ、長い時間炊くので、コンロの方が勝手に「忘れたのか?」と判断して、途中で止まってしまう。
だから注意しておかねばならない。止まったらすぐにスイッチを入れるために。
午前中には注文していた美濃和紙のマットと祝い箸が届いた。
おまけをつけてくれているのが嬉しい。
今年はあまり仰々しくない、シンプルなデザインのものにした。
静かに祝うお正月にぴったりだ。
数の子は少し塩気が抜けすぎてしまったので、お出汁に少し塩を足して調整した。
白い薄い膜を丁寧に取り除くのがコツ。これが残っていると生臭く、食感も良くない。
お出汁につけて、できあがり。
冷蔵庫で一週間ほどは余裕で持つ。
午後、思ったよりも早く黒豆が煮上がった。
まだできたばかりなので明るい色をしている。
このまま自然に冷まし、さらに一晩おいて、翌朝もう一度ひと煮立ちさせたあと、冷めたところで保存容器に移す。
そうしているうちに、黒色がしっかりと染みこんで、つややかになる。
我が家は皺を寄せずに煮る。
黒豆も冷蔵庫で一週間ほど持つ。冷凍する場合は煮汁に浸した状態で小分けにするといい。
今日はほかに、煮豚と煮卵、ピクルス2種、田作り、紅白なます、松前漬けを作った。
明日、たたきごぼうと煮染め、鶏肉の照り煮を作れば、ほぼおせちは揃う。
大晦日にお雑煮の下ごしらえをしておけばいいだけだ。
毎年、結局はこうしてお正月料理を手がける。
「今年はもう何もしない」
過去に何度もそう言ってきた。
けれど気づけば買い出しに出て、台所に立っている。
たぶん、こういう場合、テレビがないならYouTubeやNetflixを流しっぱなしにしながら作業する人が多いのだろう。
私はいずれもつけなかった。
静けさの中で、まな板で野菜を刻む音、鍋が煮立つ音、ファンヒーターの音、時折聞こえてくる外の音を聞くともなしに聞きながら、さまざまなことを思っている。
こんなふうにただ料理の音の中に入っていくやり方をするのは、もはや禅寺の「典座(てんぞ)」くらいかもしれない。
年の瀬の音を、聞いていたかったのだ。
それは歳神の去りゆく音だからだ。