明治女に学ぶ美しい人生のたしなみ*第二回 ほんとうの美人には思わず引き寄せられます
近ごろ美人はいなくなりました
女性は幾つになっても美しくありたいと願うものです。鏡を見ながら一喜一憂するのは、若い女性の特権ではないのです。それに、そうして美を追い求め努力する姿勢そのものが美しいといえるのではないでしょうか。
もっとも、単に外見的な美しさのみ求めることには違和感を抱きます。そうなると「美とは何か」ということを考えざるをえなくなります。
そこで今回は、「美人」について今泉みねの言葉から探ってみましょう。幕末から昭和初期という価値観が著しく変化する時代を見つめてきたみねの言葉からは、本来、日本人が大切にしていた美意識を垣間見ることができるのですが…
昭和初期のころ、みねはこのように「美人がいなくなった」と嘆いているのです。
色白で顔かたちが整った女性を今は美人と言っているが、最初はよくてもやがて嫌になるようなら、どんなにきれいでも駄目だ。
などと、かなり手厳しく述べています。
では、みねはどんな人を美人と位置づけていたのでしょうか。
見目形にかかわらず、
ひとことで言えば、ほんとうの美人とは「明るくて優しい心ばえが表に滲み出た女性」ということになるでしょう。
昔の女性は普段ごくやさしくて、事があるとまるで人が違ったようになりました
いざとなれば一歩も引かぬ「女の決意」の見せどころ
幕末のころ、みねは十四歳。多感な少女の目に映し出された「ほんとうの美人」とは、具体的にどのような女性だったのでしょう。
まず一人は伯母です。みねが生まれて間もなく母親は他界したため、伯母は母親のような存在だったようです。
上野戦争の際、伯母は屋敷にやってきた西軍の兵士に毅然と相対しています。五つ紋の礼服に懐剣を携え、「武器を差し出せ」と言われても、「渡すことも見せることもできない」と、静かに、しかしきっぱりと言い渡したのです。
男衆が合戦に出た際には、こうして女が命懸けで家を守るのが武家のならわしでした。その覚悟に敵も感じ入り、恐れ入って丁重になったということです。
その一方で、みねは一流の芸者を褒めちぎっています。
桂川家は隅田川のほとりにあったため、船着き場に粋な芸者の姿がちらりと見えることがありました。
「何からなにまできっぱりとして透き通るような芸者といえば、みんなそのまま洗い上げたようなすっきりとした感じでございました。白粉でつくったようなものは一人だってありません。ちょっと三越に自動車を乗りつけてというわけにはゆかず、長い間みがきあげたもので、まったく一日二日ではできません、手に持つ扇子一本にも粋に粋をこらしたものですとか」(同)
指先まで神経を行き渡らせ、一挙手一投足に到るまで美しくあろうとする心意気が感じられます。
我が身に応じた「わきまえ」と「慎み」
武家の女性と一流の芸者。
まるで立場は異なりますが、両者には共通点があります。それは、一本筋がすうっと貫かれていること。何がそのようなあり方を可能にしているかといえば、「自分が何者かをわかっているかどうか」だとみねは断言します。
このことは我が身をわきまえ、その立場に応じた慎みを持つこをも意味します。
「わきまえ」だとか「慎み」などというと、甚だ時代錯誤のように感じられるかも知れません。けれど、年齢もわきまえない若作りは多くの人に敬遠されるものでしょう。あまりに簡単な例えかもしれませんが、わきまえも慎みも感じられないあり方は、多くの人が潜在的に受け付けないような気がします。
自分らしい美しさは、我が身をわきまえ、不相応にならないよう慎むところから発されるのではないでしょうか。
美しさとは時間をかけて磨きあげたもの
かねてから私は、歳を重ねた美しさを備えた人に共通するのは「風韻」であると思ってきました。その人らしい空気感を纏っているのです。醸し出される味わい深さは、一日二日でどうにかなるものではなく「人生の時」がもたらしたものにちがいありません。若い時には、どれほど努力しても得られない美しさです。
さあ、まずは鏡に向かって一番いい笑顔を映し出してみましょう。この笑顔こそが、どんな美容液にも勝る「黄金の雫」となり、馥郁とした風韻をもたらすにちがいありません。
(初出 月刊『清流』2019年2月号 ※加筆修正2022年8月16日)
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