「今だから言えるけど、渦中のときはわからなかった」更年期インタビューwith柴乃さん(聞かせて姉さん! by幸年吉日サークル)
更年期インタビュー「聞かせて姉さん!」の今回のゲストは柴乃さんです。俳句の達人でいらっしゃって個人的に私(クロウサ)が俳句幼稚園で大変お世話になりました。「春ピリカ」という企画もされていてお忙しい紫乃さんですが、昨年の更年期宣言杯にご応募くださいました。短歌での強烈な「しゃあないな」は記憶に新しいですよね。その短歌の記事はこちらです。
今回のインタビューでは自分のことよりも家族のことで忙しかったお話が身につまされました。では早速、詳しくお伺いしたインタビューをHere we go!
クロウサ(以下 ク):2022年夏の更年期宣言杯へのご応募ありがとうございました。開幕前に柴乃さんに参加していただきたいとお誘いした時「更年期」の企画であることについてどう思われましたか?
柴乃(以下 紫):辛い思いをされてる方が多いので、具体的にこういう形になさるのが素晴らしいと言うか新しい取り組みだなと思いました。
ク:ご応募の短歌に添えて書いていただいた更年期の体験について、詳しくお伺いさせていただきます。更年期はいつどうやって気づかれたんですか?
柴:2011年に震災がありましたよね。東北の。あの時からかなと思います。その後13年14年あたりがかなりひどかったので、年齢にすると51、52歳ころです。
ク:震災の時にどうして更年期だって思ったんですか?
柴:今思えばその頃かなっていう感じです。その時はまだ更年期だとはわからない部分も多くて。一気にあちこち悪くなってしまって。低血糖だったりめまいだったりがひどくて入院するほどで。それと同時に生理のペースが乱れてきたので。不眠とか精神的なものもだんだん悪くなって。とにかく一度にそういう体調の変化が来たので。それが更年期だったのかどうかまだ未だに分からないんですけど一つの原因は更年期っていう感じです。
ク:当時はただひどく体調が悪いって感じだったってことですか?
柴:低血糖の原因もかなりホルモンが関係していて。入院の時にホルモンの検査もしてエストロゲンが減ってきていたので、更年期でもあるって事は検査結果の数値でわかって医師から「原因の一つに更年期もあるかもしれませんね」って言われました。
ク:最初は内科へ行かれたんですか?
紫:内分泌科でした。血圧とか女性ホルモンも検査して。更年期かもと言われて婦人科にも行きました。精神的に体調の悪くなった原因が、年齢的なこともあると思うんですけど、当時は母の介護が結構きつくて、あとちょうど子供たち二人が大学受験とか高校だったり。家庭環境のしんどさとか、かなりきつくて。その疲れと母との精神的ないざこざとか。なんだかんだでそちらも原因として大きかったと思います。更年期がものすごく感じられたのはホットフラッシュが来た時で、これはもう完全に更年期も体調不良の一因だなとわかりました。体調が悪くなり始めた最初はホットフラッシュはなかったんです。
ク:婦人科で処方されたパッチについて教えてもらえますか?
柴:子宮の上、おへその下あたりに5センチ四方より小さい貼り薬があって、それを貼るんです。婦人科でも改めてホルモン検査をして、私の通っている婦人科の先生は値をとって、パッチやピルが必要なホルモンの減り具合だったら出しましょう、と言うことでした。補うことで少しは楽になるかもしれないし、変化も先生としてはご覧になりたかったと思います。
ク:それを使い始めてどのように変わりましたか?
柴:ホットフラッシュはちょっと楽になったかな。ただ生理はより不順になりました。止まる時期を少しは楽に過ごそうみたいな感じだったのかな。ピルも一時飲んでたんですけどやめると急に来たり。先生からすると月経を起こさせるために飲んでやめてというのがあったみたいで。
ク:婦人科の先生とペアになって、相談してされてたんですね。
柴:そうです。「私更年期かもしれない」って思ったら婦人科に行ってきちんとホルモンの値は取るべきだと思います。
ク:婦人科は行きにくいんですよ。
柴:具体的に数値化すると「あっ」て思うかもしれないけど、先生と治していくというか治せるもんじゃないんで、より楽に過ごして無事閉経を迎えられるようにっていう意味で、通院はした方がいいんじゃないかなと私は思います。
ク:手足の冷えもあったそうですが。
柴:それは割と昔からですね。ちょうど漢方をいただく頃にはそれがもっとひどくなりました。手先だけじゃなくて下半身全部とか。お腹も冷えて。とにかく血流がうまくいってないっていう感じ。上はポッポポッポ暑いけど、下は冷たくて仕方がないというような。
ク:それに対して何かされましたか?
柴:半身浴はよくやってました。アロマのラベンダーや、私はイランイランがよく効いてたんですけど、それを腰くらいまでのお湯の中に2,3滴垂らして1時間くらいじっくり汗を出すっていうのをやるとかなり楽でした。でも時間がないとできないんですよね。それで自分の時間になる夜とか夜中とかそんな時に。
ク: 体が変わっていって、心はどういう変化があったんですか?
柴:一番ひどかったのが睡眠がとれなかったことで。いつも頭が覚醒してる感じ。それに伴って痩せていってしまって。それで心療内科にも行きました。婦人科からは漢方を出していただいて、心療内科の方から抗うつ剤は出なくて安定剤と、不眠がひどかったので入眠剤をいただきました。薬を飲んで体を休めないといけないということでした。
ク:人間関係はどう変わったんですか?
柴:人間関係というよりは家庭環境。子どもが高校から大学への過渡期で、大学受験とか、母の介護がすごく大変で。多々入院もあったので。あとは当然介護士さんやヘルパーさんとか。病院関係の方とのやりとりや通院への付き添いや、とにかく四六時中本当に忙しかったので。そういうところでしょうね。
ク:一緒に暮らしていたお母さまの介護と、自分の更年期と、お子さんの進学と、全部が重なったんですね。
柴:社会的に40代後半から50代はどんな人であったとしてもかなり人生の中でいろんなところで主役になって時を過ごさなければいけないでしょ。心身ともに一番人間として忙しくてね。自分でやらなくちゃいけないっていう時期に差し掛かる時でもあると思うので。精神的なもの肉体的なものプラス、ホルモンのアンバランスやいろいろなものが加わって更年期がよりひどくなる可能性は、どなたにとってもあるんじゃないかなって思ってます。
ク:更年期のピークが51歳から53歳ということは、3年間もいろんな体調不良が出続けたってことですか?
柴:そうですね。低血糖が一番最初に終わりました。それは低血糖の対処っていうのをしたせいもあると思うんですけど。めまいの方もひどくて2回入院して、めまいの方のお医者様にも通いつつ様子を見ながら徐々に治っていく感じで。婦人科から処方の漢方薬が最後まで残ってました。
ク:ピークが3年は長いと思うんですけど、当時はどういうお気持ちでしたか?
柴:母とのこととか色々家族のことが凄すぎちゃって自分のことはあんまり時間が使えなくて。だからしんどいんだけど自分より他が優先になってたので、まあしょうがないなって感じでしたね。自分に目を向けることはなかったですね。気力で頑張ってたせいもあるけど。例えば起きられないってなったとしても、(母親が)病院へ行かなきゃいけないとか、(母親の)病院から呼び出しがあったりとか、やっぱりそっちを優先しなくちゃいけないので。
ク:お母様の介護はいつまでされてたんですか?
柴:最後結局自分で見きれなくなって施設に入ってはもらったんですけど。本人が入りたくなかったので、その辺のね葛藤と言うか色々で。2013年の終わりぐらいに入ったのかな。
ク:更年期のピークと介護がぴったり重なってたんですね。
柴:そうですね。もしかしたら精神的しんどさの方が勝っててより更年期が長くなったのかもしれないし。ちょっとその辺のところが自分でも分からないです。これを言えるのは今だからで、その渦中の時は分からなさすぎて。説明もできないし。この一ヶ月後二ヶ月後自分はどうなっていくのかもわからないから。しょうがない。だって見えないもの先が。終わって振り返ってあの時そうだったんだよねっていう感じですねどうしても。
ク:救急車を呼んだ時、ご家族はどうだったんですか?
柴:いない時なんですよ。子供達も塾へ行ってたり、夜遅かったり、母は病院に入ってたりとか。自分が一人の時だったので。どうにもって感じ。
ク:一人の時と言うことは、自分で救急車を呼んだんですか?
柴:そうそう。ガラケーの時代でしたけど、本当に自分で呼ぶ。(笑)
ク:体調不良は更年期が全てじゃないと言われてたんですけど、若い時から体調不良になることがあったんですか?
柴:私はあまり体の強いほうじゃなかったので、割合的に体重もすごく少なかったし。胃腸の調子が弱かったし強いっていう感じではなかったです。更年期も多分終わったであろう、母も亡くなったし子供達も無事就職し終わって色んな事が片付いて私もようやく自分らしく生きていけるようになった、ここ3、4年、人生初めてっていうくらいの体重も増えてきたし、ようやく整ってきたなっていう感じですね。
ク:閉経の前後で大きく変わったことはなかったそうですが、生理痛などの月経トラブルはもともとなかったんですか?
柴:そうです。生理に関してはものすごく順調だったんですね。若い頃から、出産とかも、帝王切開ではあったんですけど月経については特にトラブルもなく。月経痛はないわけじゃなかったけれど、それでしんどい思いをしたことがなかったので。そういう意味では順調でしたから、1か月に1回っていうペースが崩れた時はすぐわかりました。
ク:ペースが崩れて順調に閉経されたんですね。
柴:1カ月が1カ月半とかゆっくりになったり、量が減ったりして、もうそろそろ終わりが近づいてきてるんだなーっていうそんな感じでした。それを更年期だとも思わなかったし更年期っていうのも心配するタイプでもなかったですよね私は。来るときは来るのかなぐらいの感じだったので、その辺は淡々とでした。最初はね。
ク:内服薬が減ってきたので更年期が終わったと思われたんですよね?
柴:色んなものがだんだん楽になってきて、だから更年期が終わったのかなって。その時には更年期の終わりだとは思ってませんでしたけど、今だからあれが終わりだったんだなって考えられるんです。
ク:更年期を振り返って思う事は?
柴:しょうがない。避けようと思って避けられるもんじゃないと思いますし。
ク:大変だった更年期中のご自身にどんな言葉をかけますか?
柴:よく頑張ったねって。
ク:ご自身の身体がすごく大変なのに介護もしていて、ご家族に助けを求める事はあったんですか?
柴:私は血縁が少なくて一人っ子だし。環境的に頼れる近い人がいなかったので仕方なかったんですよね。子供達も大学へ入ったりとかで助けてもらいつつ、何が何でも助けてっていう感じではない。自分でできることなら自分でやるしかないっていうのが強いので仕方なかったんですよね。私は人に何か頼んでやってもらうことで救われるタイプじゃないので。申し訳ないっていうのが先に立っちゃうし、それはもう個性と言うかね、性格だから仕方ないし。
ク:更年期中の人やこれから更年期になる人たちにメッセージをお願いします。
柴:そうだなあ。やっぱり私は我慢することが得意なほうだからギリギリまで我慢してしまったけど、全員にそれは当てはまらないと思うので、相談できる人が周りにいるなり、いいお医者さんを見つけてそこにかかるなり、自分の不安は外に出すことが必要なのかなって思います。お医者さんとか通院とか検査とかも怖がらないでやるしかないと思う。やっぱり一つ乗り越えてしまえばね。お医者様を味方につけてしまうしかないんじゃないかしらね。お医者様にきちんと今の自分の状態を女性ホルモンの値が MAX の時より自分はどれだけ減ってるのかっていう数値を確かめて、今自分はどの程度の所にいるんだなって。数値的に見ると、こんなに苦しくっても仕方ないってある意味落とし込みのところが出てくるような気がするので。
谷川らなん:振り返ってみてわかるもので、渦中にいる時には折り合いをつける感じなんですね。
柴:そう。それを言えるのはもうすぎちゃってるからで、真っ只中の方はなかなか冷静にはなれないと思うので、どういうお声をかけるのが一番なのかなって思うけど、一日一日を頑張って「頑張ってるよね、私頑張ってるよね、えらいよね」と思えたらいいのかなと思います。
柴乃さん、ありがとうございました✨