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55 梅すだれ-御船
コウゾは三日に一度来るようになった。コウゾに会う頻度は出会った頃のマサと同じ。もやもやする滝のそばで、桐は豆腐の修行と言わんばかりに熱心にコウゾから作り方を教わっている。そんなに豆腐にこだわらなくてもと思う滝であるが、
「豆腐は元々琉球の食べ物と」
とコウゾが言った時、考えが変わった。
マサが行こうとしていた琉球の豆腐。まるでマサが土産に持って帰って来たみたいではないか。
自然と滝も豆腐に愛着を持つようになり、客に豆腐をすすめ、自分も豆腐を食べた。
飯屋の看板商品である金山寺味噌をつけて食べる豆腐は絶品で、これまた飯屋の売れ筋商品となった。
ところが桐はそれで気が済まない。もっとおいしいものをと飽くなき探求心に終わりはない。もっと何かしたいと考えていたところ魚醤を耳にした。魚醤とは魚を塩漬けにして発酵させた汁のことで、匂いは悪いが美味だと言う。ぜひそれを味わってみたい桐は、うまいと評判の魚醤屋へ行くことにした。もちろん滝を連れて。
御船川を一里ちょっと上ったところに御船城があり、その城下町に魚醤屋「木倉」がある。隣りの味噌屋と並び、室町時代から続く老舗の店である。
武士階級御用達の店とあって、立派な門構えの屋敷である。滝は店に入ることをためらったが、桐は御船で名が知られる飯屋のプライドがある。物怖じもせず「ごめんください」と入っていく。俯きがちに桐の後ろをついていく滝。
中へ入ると正面には横長の台が置いてあり、その上に壺が並んでいる。左から一年物、二年物、と魚を発酵させた年数ごとに魚醤が置いてある。横には細長い座敷があり、低い衝立の向こうに座っている女将さんが「いらっしゃい」と衝立の上から顔をのぞかせた。
「御船川の川下で飯屋をしております桐と申します。こちらは姉の滝でございます。魚醤をいただきたく参りました」
聞いたこともないほどの丁寧な話しぶりの桐に合わせて、滝は深々とお辞儀をした。
「そっくりと。双子か?」
格式のある店に緊張していた二人であったがお決まりの反応に、
「一つ違いの姉妹でございます」
と笑った。
「変わった味噌を出すと聞いとっと。魚醤が欲しいとか?」
女将さんはそう言いながら座敷を下りると、一番左の壺の蓋を取り、匙で一掬いした。桐と滝の手の甲にぽとりと魚醤を垂らし、舐めてみるように言う。
琥珀色の液体からは鼻を刺す生臭い匂いがする。舐めてみると塩辛いがきのこの旨味をもっと凝縮させたような食欲をそそる味である。新しい味覚を刺激された二人が宝物を見つけたように顔を見合わせると、女将さんはうれしそうに魚醤の説明を始めた。
魚醤は発酵年数が経つにつれて生臭さはなくなり、色が濃くなっていく。十年物になると大層高級で、お殿様くらいしか口にできないと言う。
「味噌と同じ。長く寝かせると癖のないまろやかな味になって、旨味が増すと。人もそうありたいもんと」
陽気な女将さんにすっかり打ち解けた二人は、魚醤を自分たちで作れないかと相談すると、
「魚を丸ごと塩につけておけばいい。見てくか?」
と番頭に店番を頼み、気前よく奥へと案内した。
廊下を歩いていくと左側に大きな広場が広がっている。漁師たちが持ってきた魚を買い取る場所であり、奥の半分には大きな壺が二十個並んでいる。人が入れるほどの大きな甕の中には発酵中の魚醤が入っている。数人が木の踏み台の上に立ち、甕の蓋を開けて木の棒を突っ込んで混ぜている。発酵を促しているのだ。蓋の開いた甕からは言いようもないほどの臭さが放たれている。
甕は魚の種類と年数で分けられている。甕の前には小石が並べてあり、一年経つと一つ置き、二年たてば二つ置き、と石の数で発酵年数を表している。鰯、鮎、えそ、鯛、鰹などの魚で作られていて、一種類の魚で作ったものは魚ごとに微妙に味が違う。複数の魚をつけこんだものは少し苦みが出る。
「朝漁師が小魚を持って来るが、夕方にも持ち込んでくる。売れ残りの魚を持って来ると」
一通り説明を受けている間、あまりの臭さに袖で鼻を抑える滝であるが、糠やきのこを漬けているだけあって発酵の匂いに慣れているのか、桐は平気な顔をして聞いている。
奥に大きな蔵があり、その出入り口まで案内された。匂いに参っている滝を気遣ってか、女将はそれ以上入ることなく、
「ここで濾して火を入れると」
中には壁沿いに竈が五つある。発酵が終わり外から運び入れた甕の上に、布を張った笊を置く。発酵してドロドロに溶けた魚醤を甕から笊へ流し込む。ぽたりぽたりと少しずつ甕の中に濾された魚醤が落ちていく。濾し終った漁礁を鍋へ移し、竃の火にかけて完成する。
「調菜に使うものですか?」
親切に教えてくれる女将に、桐は貪欲に料理への使い方を尋ねた。
「なんにでもええ。握り飯にかけて焼いてもうまか」
その言葉に桐の目が輝いた。すぐに試してみたくてうずうずしている。
女将は臭いを嫌がることもなく魚醤に興味を持つ桐を気に入ったようで、
「うちでは必ず魚醤を使っとる。見てくか」
と厨へ案内した。
四つの竈のある大きな台所で三人の女中が朝採った野菜を洗ったり切ったりしていた。十八人の使用人のために毎日たくさんの食事を賄っているのだ。
「煮しめが残っとるな」
里芋と椎茸を魚醤で煮つけたものを鍋から箸でつまむと、桐と滝に食べさせた。里芋には椎茸の旨味を千倍も濃くしたような美味しさがしみ込んでいる。あまりの美味しさに、さっきまで苦虫を噛み潰した顔であった滝に笑みが広がった。
二人は一番安くて雑種を漬けた小さな壺の魚醤を買うと店を出た。小壺を抱える桐は、
(まだこんなに美味しいものがあったなんて)
と、まだまだ新しい料理を作り出せるという希望に大きく胸を膨らませるのだった。
つづく
次話
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