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【72】みなしごの気分

みなしごみたいな気分になっている。
宇宙にわたしだけなんじゃないか、こんなに、せきずいがどうのって、悩んでるのはさ。他人事だと笑えるけど笑えない。

以前の自分にも戻れないし、かといって新しいところにもまだ行けるほど、経験を重ねたわけじゃない。

昨日は人混みの公園で歌い、中途半端で楽しいところまでいけなかった。マイクを持たずだと自分の中でアカンことがわかった。
夕方お祭りで大量に近所の人々と会って、今まで気づかなかったけど、この人たちに歌っているところを見られたらとリアルに怖くなった。

今日は駅に行って歌おうと準備していくも、休日の人通りの多さと、昨日のもし顔見知りの人に見られたらにノックアウトされて歌うを実行できなかった。やっぱり悔しくて試みるも、娘が走ったり動き回って、断念。
でもモヤモヤするから公園で歌い、少し気がはれた。チラシを渡すまでも、まだ全然いかない。

他人からみたら意味わからんことをやって、できないとグルグルして、一人で勝手に怖くなって、でもやりたくてあがいてるわたし。

わたしだってさ、みんなみたいに普通のことを楽しめたらなぁとか、思う。今日だって隙あらばビワ市に行って友達のお店に行ったり、可愛いものや美味しいものをめぐったりしたかったのだ。

正直なところ、もう、誰かのそういうのにのっかる、なぞるだけのことが、もう面白くないって自分で言ってたじゃんかー(笑)

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でも、少しだけ、気づいたことがある。
『わたし=頭じゃない』(人によって違うらしいが、わたしの場合は脊髄を意識して、何をするにも脊髄が対応して反応してくれるから、そこに明け渡すことを練習してるんだけど)
というのを意識しはじめたら、子どもとのやりとりがスムーズになった。頭の今までのいつものわたしなら、言葉で普通に注意するだけで疲れてぐったりのところが、脊髄だと、歌うとか、何かと子どもの流れに添って、今の流れを掴んだ対応をしてくれるから。

わたしは対応能力がほぼないので、(あらゆることの返事が上手くできないことで長年悩んできた)自分の頭で準備して対応しなくても、脊髄に任せればいいというだけで、ちょっと、それ、なんていう朗報なの!と小躍りしたくなる嬉しさ。
それにはまたちょっとしたコツがいって、長年できないからとにかく準備して、自分は足りないからつけたそうと頑張ろうとしてきた人間には、なかなかだなぁ。試行錯誤は続く。


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