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「欲の叶うその日」(『このあいだ』第4号 2021/1)

幸田文『木』新潮社、1992
(リンク先は2022年の文庫版)

「だが、 抱けば、その頑なな重量。 このアテをどうしたらいいかとだけ、あとは何も考えられなかった。」

ひのき」の章で著者は案内人から「アテ」 について教えてもらう。 アテとは木が、 例えば日照を得ようとして、 ねじれ、 曲がり、 こぶをつくり、 自身に真っ直ぐでない変形した箇所をつくる、その部分のことをいうそうだ。 ヒノキといえば良い材、高級な、というイメージをぼくも持っているが、 アテとなると内側に相当な癖があり、材に挽こうとしても抵抗が強かったり、反ったり裂けたりして、材としては最低の等級にも入れられない、救いたくても救えない、 ワル、 鼻つまみ・・・。そんなことを聞いていると著者のアテへの憐憫の情、というよりもアテのために自分がそれをかばって立ちたい、 自分の目で確かめなければ、自分だけは味方でいなければ、 そんな感情の昂ぶりがこちらの心をもつまみあげて、めくる。胸がいたい。

 どんぐりを拾いながら木々の間を歩いたとき、この『木』 というエッセイ連作のことを思い出した。 この本をかつて文庫で持っていたのは、 市川崑監督の美しい映画『おとうと』を観たからだったからだろうか。 いや、逆だ。ただ何かエッセイを読みたくて選らみ取ったものの、あのときは最後まで読まずに手放したのだった。久しぶりに図書館で借りて 「檜」の章を読みながら、ずっと著者の弟のことを思ったのは 『おとうと』 を見て彼を知っていたからだ。 だから著者がアテを抱いたときの追幕の情、 深い慈悲が身に沁みて感じられたのだ。

 この本に収められたエッセイを執筆していたころ、著者は既に高齢だったろうことは読みながらわかるが、 67歳の年から80歳になる年にかけての文章が時系列に沿って並んでいるようだ。「安倍峠にて」の章で「欲の叶うその日」ということばに出会ったのが印象的だった。著者はそれぞれの章で北海道へ、 屋久島へ、 ほうぼうへ木に逢いに出かけるのだが、そこには必ずそのための手はずを整え案内し、ときには介助する人の存在がある。 そこで木を見上げ、手に触れて確かめ、もっと見たくなり、 歩き、 おぶわれ、 檜のアテを挽いてくれと相手を困却させるような願いも表し、特に前半では老いてなお生命力旺盛なところを感じさせる。 楓の芽吹きを見られる、 それを 「願いが」 ではなく 「欲が」 叶うと言ったあどけなさには心惹かれるものがある。 人に助けられながらただ平身低頭するのでなく、 無邪気に自分の経験したいこと、それへの欲を発露させられることに羨ましささえ覚える。

 言わずもがなだが、この本に収められているのは自然科学的な著述ではない。 無論それぞれの木の観察はあるが、まず読んで誰もが感じるだろうことは、著者が人に逢うように木のもとへ出向いているということである。 単なる擬人化であるとか、そういうことではない。 自分を人として、木を人として、人と人が逢っている。

「えぞ松の更新」 「藤」 「檜」の章などは比較的若い頃の筆で、その筆致の見事さ、 内容の豊かさには舌を巻く。どの章もものを書く人間にとっては憧れるような文だが、藤の花々の美しく垂れ下がるイメージをまといながら、幸田家の親と子の、木や花を介した物語のつらなりには、 生の歴史のあやしさに触れるようで眩惑させられた。 それが後半になるにつれて、木からそれを取り巻く環境へ関心が移っていく。 木に深い愛着を持っているのには変わりがない。しかし、 次第に話題は山の崩壊や火山灰、 川の氾濫についてが多くなり、 その中にある木へと眼差しが向けられるようになる。 それに伴って、 なんとなくだが筆力の衰えも感じられるような気がする。 文中の著者も、たしかに以前より老いている。

 ぼくは多くを持っているわけではないけれども、今は安定した環境に置かれ、 自分の欲を満たしている。 人の支えを受けているのも間違いないはずなのだが、 自立して生きているつもりでいる。 昔勤めた会社の社長から「もっとガツガツしろ」と言われたこともあるが、 その通り、今は以前よりガツガツするようになったところもある。 何のための「ガツガツ」 かには自分なりに留意しているつもりではあるけれど。 だが事あるごと、 けっして環境に打ち勝ったわけではないのだと、 「盗人のようにやってくる日」(*1) 、つまりいつ訪れるかわからない自己の死と審判の日を必ず避け得るものではないのだと、 身につまされて思う。

*1 新約聖書、テサロニケの信徒への手紙第一5章2節「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。」

 著者が老いて、自分という木のことではなくて、崩落や火山の噴火など、よその木々を取り巻く環境に目を向けることは優しい、と思う。 思えば、 檜のアテをつくるにも、不利な日照条件などの環境があった。 その中で必死に生きようとする努力があった。 かつて屋久杉や見事な檜を見上げた同じ著者の、 川の水が押し流したあとの荒地に生いた柳へ向ける 「いとおしさ」の眼差しはあたたかいものだった。

『おとうと』 の映画をふたたび思い出す。かつて「このアテをどうしたら」 と抱きしめるように案じた弟にも、 そのアテを作らざるを得なかった環境があったのだ。 それが家族から、 社会から爪弾きにされるから、姉は必死でそばにいたのだろう。 結局弟は病に倒れるも、 その弟にも 「欲のかなうその日」 はあったのではないか。 それは姉と過ごした何でもない時間のことだったり、 かけられた言葉のひとつだったりしたこともあったかもしれない。

 ぼくは思う。 立木として他に打ち勝って見事に生い立ち、材となっても一等の良材と褒めそやされる生もある。 しかしわずかの日差ししか得られない生にあっては、 求めたものが素直に満たされること、欲の叶うその日その日が、その生い立ちにとって、一生の成功プランより尊いこともあるのではないか、と。

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