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小学生の頃の友達と遊べない僕

なぜだろう。

僕は人生の階段を登るたびに、後に戻れなくなってしまう。

小学校から中学校。

中学校から高校。

高校から大学。

そうして人生の階段を登っても、普通は気軽な感じで戻れる。

社会人になっても、小学校のときの友達と遊べるような身軽さが羨ましい。

僕はもう何年も小学校のときの友達、中学校のときの友達、高校のときの友達と会っていない。

「地元帰って来たら連絡して!」

と言われるけれど、完璧な社交辞令をして、純度百パーセントの社交辞令をして、結局会わず仕舞いでいる。

小学生時代と中学生時代。

膝を軽く上げて踏み出すだけの段差なのだけど、登った後は崖になってしまったかのような隔たりがある。

もう世界が違ってしまっているのだ。

世界は変わってしまったのだ。

小学生のとき。

僕は転校生で、そしてかなりヤバいやつだった。

授業中に一番前の席で漫画を読んでいたり、席を勝手に立ってスーパーボールや紙飛行機で遊んでいたり、完全に頭がおかしかった。

反抗期真っ盛りだった。

あのときの担任の先生、川島先生がこの記事を読んでいたら全力で謝りたい。

本当にすみませんでした。

転校生でこの感じだから、先生にはかなり迷惑をかけたと思うし、やっぱり相当ヤバいやつだと思われていたと思う。

そんな小学生時代を経て。

中学生になった僕は、完全なる陰キャになっていた。

いわゆる学校のカーストでいうと、上中下の下。

女の子にも話しかけられない、放課後は友達の家か公園で陰キャ友達と集まってゲームをしている、そんな中学生だった。

色恋沙汰も皆無であった。

どうしてこうなってしまったのか、僕にもてんでわからない。

が、事実はこうだったのだ。

そして高校生に上がった僕は、完全な高校球児であった。

丸刈りで、校内で先輩とすれ違えば低い声で挨拶をし、休み時間にはおにぎりを貪るパーフェクト高校球児であった。

勉強は赤点を回避する程度に。

朝6時には学校へ来て朝練をし、20時に練習を終えて帰る。

そんな典型的かつ古典的な野球部員だった。

高校三年生の頃には、人生で初めての彼女もできた。

なぜこうなったのか、僕にはてんでわからない。

それから時は流れ、大学は国立の大学に入った。

合格が決まったとき、高校の先生はめちゃくちゃに褒めてくれた。

学年主任の先生が直々に挨拶に来て、熱い握手と抱擁を交わしたことは今でも忘れない。

なぜそこまで熱烈な歓迎を受けたかというと、僕の高校は端的にいって頭がよろしくなかったのである。

偏差値は50を切り、毎年定員割れになるほどのバカ高校だった。

国公立大に行く人間なんて、学年で2〜3人くらいのもので、「本当に稀有な人ですね」という感じだった。

そんな中、高校三年間野球に明け暮れ、三年生の秋にもなって赤点を取っているような人間が、いきなり学年トップクラスなのだ。

それは、先生方の盛り上がり様も頷ける。

かくして僕は、大学生になって急にインテリ層に躍り出た

ちなみに、その流れで大学院まで行ってしまった。

どうしてこうなったのか。

どこでどういう選択肢を踏んだらこのような人生になるのか、僕にはてんでわからない。

しかし、なんだか僕はそのような人生を歩んでいた。

小学生、やんちゃ坊主。

中学生、隠キャ。

高校生、野球部。

大学生、インテリ。

キャラ変が凄まじい。

ジョブチェンどんだけすんねんという感じで、アイデンティティが定まらない少年だった。

アイデンティティが定まらないために、小中高大で僕はそれぞれ全く別の人間だった。

その度に生まれ変わった、と言っても過言ではない。

"大学デビュー" とよく言うが、中学デビュー、高校デビューもかましていた。

なかなか忙しい人生だ。

そんなわけで、小学生の頃の友達からしたら中学生の僕は別人だし、中学の友達からしたら高校の僕は全くの別人だ。

「今野は人が変わってしまった……」

と思われても仕方がない。

「あいつには何かあったんだ。」

と思われてもやむを得ない。

みんなが本当にそう思っているかは別として、僕のほうが完全に180°、360°、一周通り越して540° 違う人間ちなってしまっているので、話が合わなくなってくる。

と、思い込んでいる。

本当は人が変わってしまっても、普通に関わり続けられる人は関わり続けられるのだろう。

鈍感であればいい、それだけの話だ。

でも、僕はその当時の、その時代時代における役割を全うできないから、微妙な間に気まずくなってしまう。

先生をからかっていた小学生の僕はいないし。

いじめられていた中学生の僕はいない。

隙あらばおにぎりを頬張っていた高校生の僕も、もういないのである。

だから、当時の仲間と会ったときに、うまく会話やノリが噛み合わず変な空気になる。

それが、むず痒いし、恥ずかしいし、いたたまれないのだ。

だから、これからはそんなこと気にせずに上手くやっていきましょう、という話ではない。

この話に、結論はない。

僕はこのように悩んできて、そしてこれからも悩んでいくという吐露である。

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今野直倫
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