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僕をここまで連れてきてくれた心の病気
僕は今、海の見える田舎町に住んでいる。
新潟県糸魚川市。
人口四万人弱の小さな町だ。
電車やバスは一時間に一本で、満員電車とはまったくの無縁。
チェーン店はほとんどなく、ショッピングモールなんていうのは以ての外。
ゲームセンターや映画館、ボーリング場すらも存在しない。
海と山と川、そして美味しいご飯。
それがこの町の全てだと言っても過言ではない。
きっと世の中のほとんどの人は、不便そうだと思うに違いない。
だから、この町に進んで住もうという人はまず多くないだろう。
実際、人口は減り続けているし、僕が移住してきたときには町の人に、
「こんな何もないところによう来たねえ」
と、口を揃えて言われた。
たぶん、僕もこんな経験をしなければ、住むどころか町の名前すらも知らずに一生を終えていたと思う。
こんな心の病を経験しなければ。
僕が罹った心の病気は、心気症という。
病気不安障害とも呼ばれるそうだ。
自分は重篤な病気に罹っているのではないか、という強い思い込みに襲われる精神疾患。
診察や検査により身体的な疾患がないと分かっても、繰り返し繰り返し診察や検査を受けてしまう。
「きっと診察や検査結果が間違っているのだ」
「自分は何かの病気に違いない」
病気に対する不安は消えることがなく、日常生活に支障を来してしまう。
僕がこの心の病と対峙したのは、卒業を控えた大学四年の夏のことだ。
僕は大学院進学を決めていて、その頃は院試へ向けた勉強漬けの毎日。
過言ではなく、寝る時とご飯を食べる時以外は常に机に向かっていた。
大学教授をしていた父親の影響もあり、大学院に受からなければお終いだと思っていた。
ある日、その張り詰めた糸がぷつんと切れた。
無気力。
何もやる気が起きない。
勉強なんてどうでもいい。
院試なんてどうでもいい。
突然、僕の中の何もかもが体から抜け出てしまい、すっからかんの空洞状態になった。
その空っぽの心に、心気症という病は自然に、まるで手練れの空き巣のように忍び込んできたのだ。
何とか大学院には合格したものの、それからの二年間はところどころ記憶が曖昧だ。
大学院に通っていたこと、研究の傍ら高校の非常勤講師として勤めていたこと、心療内科に通院していたこと。
これくらいのことは大雑把に覚えているが、逆にいうとそれ以上の具体的なことが靄がかかったように不鮮明になっている。
ただはっきり覚えているのは、僕は死について考えていた。
考えていたというよりも、考えざるを得なかったと言うほうが正確かもしれない。
僕は重篤な病気なのだ。
きっと近いうちに死ぬのだ。
そう本気で思い込んでいた。
だから、否が応にも死というものを意識させられたし、また目を背けられない事実として認識した。
人は死ぬ。
いくら医療が発達したからといって、治療できない病はいくらでもあるし、それに罹るか罹らないかはくじ引きのようなものだ。
そして、そのくじはいつ引くかも分からない。
明日かも、明後日かも。
いや、すでに僕はそのくじを引いているのかもしれない。
そんな思考が来る日も来る日も頭の中を駆け巡り続けた。
だから、実際に僕が取っていた現実世界での行動というものにほとんど意識が向いておらず、記憶からすっかり抜け落ちている。
再び記憶が明確になり始めるのが、心気症に羅漢してから2年経った頃に起こったある出来事の後からだ。
その日も、勤務先の私立高校へ地下鉄を使って通勤をしていた。
午前6時頃。
眠たくてまだ起きていない僕の体は、いつものように千代田線の満員電車に揺られていた。
朝の東京メトロは鮨詰め状態。
乗客は誰一人として身動きが取れず、見知らぬ人々と体を密着させながら、ただただ目的地に到着するのを耐え忍ぶしかない。
僕も同様だった。
駅名を告げる車掌の声に耳を傾けていた。
とある駅名を車掌がアナウンスした後、気づけば僕は意識が朦朧とし、目を開けるのもままならない状態にいた。
「今野さん、聞こえますか」
肩を叩かれながら、耳元で大きな声が聞こえた。
頭が割れるように痛い。
酷い吐き気がする。
僕は呂律の回らない舌で、やっとのことで声にもならない音のようなものを発することができた。
僕は、満員電車の中で意識を失って救急車で運ばれていたのだった。
救急隊の方の話によると、泡を吹いて倒れていたらしい。
幸いなことに命に別状はなかったが原因は分からず、半日点滴を受けて病院を後にした。
そのときに僕は思った。
心気症に羅漢していたこの二年間。
自分が病気かもしれない、死ぬかもしれない、と不安に苛まれ考え続けていたことがあほらしくなってきた。
だって、現実に死んでいたかもしれなかったから。
明日死ぬかも、明後日死ぬかも、と考える暇もなく気付かないうちに死んでいたかもしれなかったから。
そして、それはこの先も変わらない。
人間いつ死ぬかわからない。
僕は本当の意味で理解した。
だとしたら、自分の生きたいように生きよう。
常識だとか、世間体だとか、他人がどう思うかとか、そんなことは気にしているだけ損じゃないか。
僕はその年度で高校の非常勤講師を辞めることを決めた。
またそれと同時に、院を出た後の進路として教員や研究者になることや、このまま東京に住み続けるという選択肢も消えた。
僕は僕の好きなように生きる。
そうして何年かが過ぎ、僕は自然豊かな田舎町でカフェ店主をしている。
小さな頃から好きだったコーヒーを仕事にしたい。
満員電車で通勤をしたくない。
海の近くに住みたい。
そんな自分の欲望にしたがって働き方を選択し、住むところを変えていった結果、今の僕がいる。
心気症という心の病気に罹らなければ、満員電車で意識を失って倒れなければ、こうはなっていなかったに違いない。
心の病気になってよかった。
と、あの頃の苦しい経験を美化するつもりはない。
そんなことを今の僕が言おうものなら、当時の僕が余計に苦しい思いをするだろうから。
ただ一つだけ言えるのは、それは誰もができる経験ではないということだ。
多くの人は心の病気にならないまま、何となく社会に出て、何となくの幸せを追って、何となく死んでいく。
自分の心や考えと向き合わないまま、社会や誰かが敷いたレールに乗っかって生きていく。
辛く苦しい中でも、自分の心や考えと向き合った僕たちは、きっと本当の自分に出会えるはずだ。
本当は自分が何をしたいのか。
どうやって生きていきたいのか。
何を成し遂げたいのか。
きっと今手探り状態で進んでいる暗闇の先には、その自分自身の本当の心という光が見えてくるはずだ。
今、過去の僕と同じような状況にいる人。
むしろ、僕より苦しく辛い状況にいる人。
そのような人たちにとって、この文章が暗闇を歩く中でのお守りになればいいなと思う。
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