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ブランディングについての私的備忘録

ブランディングについて、僕自身が道に迷わないように書き記しておきたいと思う。

ブランディング。

まず、「よく見せよう。」発進で始まるブランディングは、間違っている。

世の中にはこういった、よく見せることがブランディングだと認識している人があまりにも多い気がする。

かっこいいデザインだったり、ファンシーな世界観だったり、綺麗な言葉だったり。

そういったものがブランディングだと思っているなら、認識を改めなければいけない。

(これは、あくまでも未来の自分に対して書いている。)

そうではない。

そもそも、ブランディングというのは何のためにするのか、ということを考えなければいけない。

売上を上げるため?

ファンを増やすため?

自己表現をするため?

これらは、どれも正解だ。

きっと多くの人がこのように認識していて、すなわち多くの人が目的については正しい理解をしていると思う。

それでいて、手段のブランディングの解釈が間違っている。

なかなか珍しい現象かもしれない。

目的が間違っているというケースはよくあるが、手段のほうが間違っているというケースはあまりないように思う。

そういった稀有な認識違いが、このブランディングには起こっている。

こと個人のブランディング(会社や組織ではなく)に焦点を絞ると、突き詰めればそれは個人の幸福のためということになる。

僕の場合は、"今野直倫" というごく個人としての幸福のために、ブランディングは行うということだ。

だから、売上のため、ファンを増やすため、自己表現のため、というのは間違いではないがやや浅い。

つまり、売上やファンや自己表現は何のためかというと、個人の幸福のためであるということに帰着する。

個人の幸福。

これが満たされることが、ブランディングの究極的な目的である。

最初の話に戻る。

そうだとすると、世の中で広く認識されているであろう「よく見せよう。」とするブランディングは、かなり変な方向の線である。

千代田線に乗ろうとしたら、山手線に乗ってしまい、東京都内をぐるぐる回っているくらいの誤りである。

何が言いたいかというと、よく見せよう、とすることはすなわち自分を着飾るということである。

例えるなら、スーツに身を包むということである。

友達の結婚式にはジャージで行ってはならず、ちょっとお洒落なスーツを着ていかなければならない。

しかも、そのちょっとお洒落なスーツというのは仕事で着るわけにもいかず、なぜか友達の結婚式に着ていくためにクローゼットを占有している。

わけがわからない。

ベネズエラから来た助っ人外国人が、一年に一回代打で出るために、ベンチ枠を1つ埋めてしまっているくらいわけがわからない。

そうして僕は、友達の結婚式に出ることをやめた。

なぜ友達の結婚式の話になったのかわからないが、僕が言いたいのは、よく見せようとするブランディングはずっと結婚式参列用のスーツを着ているということと同じである。

飯を食うときも、寝るときも、一家団欒のときも、旅行に行くときも、芝生に寝転んでいるときも、ちょっとお洒落なスーツを着ているのと同じである。

友達の結婚式に着ていくなら、いい。

気分も上がるし、楽しい。

でも、それが日常的にずっと着ているということになれば、どうだろうか。

ちょっと窮屈だ。

いや、だいぶ窮屈だ。

寝るときにスーツなんか着ていようものなら、皺にならないか、汗の匂いが染み付かないか、肩が凝るな、などといちいち気になって仕方ない。

着飾るブランディングとは、そういうことである。

ずっと気にしなければいけないのだ。

自分が周りからどう見られているのか?

ブランドに反したことをしてはいないか?

言葉遣いは正しかったか?服装は?髪型は?

など。

仕事や生活がブランドに縛られていく。

自分を幸せにするはずが、ブランドを守るために自分を着飾り続けなければいけなくなる。

果たしてそれは望んでいたことだろうか?

そうではないはずだ。

そもそものところに立ち返ると、ブランディングは他ならぬ自分を幸福にするために行なっているはずである。

そうであれば、素の自分でいられることが結構大事なはずなのである。

いつでも部屋着でいられることが、自分にとっては楽なはずなのである。

ブランディングとはスーツを着ることではなく、部屋着でノーメイクでタメ口でいるということだと思う。

そして、その自分を恥ずかしげもなく曝け出していくということだ。

部屋着の自分とは、"本当の自分" である。

これが意外と難しい。

僕たちは日常的に周りを気にしたり、社会の常識を守ったりしているから、本当の自分と言われたときに分からなくなる。

それは、周りから求められている自分なのか、社会に適合するための自分なのか、わからなくなる。

だから、素の自分でいる、ということは最も難しくて、実は綺麗に着飾るほうが簡単だ。

だから、よく見せようとするブランディングに逃げてしまう。

自分は、どっちでいきたいのか。

スーツで着飾って、お化粧をして、その姿を一生守り抜くのか。

自分の内面を見つめに見つめて、本当の自分を見つけて、曝け出していくのか。

僕は後者のほうで生きていきたい。

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今野直倫
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