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僕がいてあなたがいる、以上終わり。

僕がいてあなたがいる、以上終わり。

  終
制作・著作
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これだとnoteとして成立しないので、もう少し続きを書いてみたいと思う。

世界というのは、僕がいてあなたがいて、そしてあの人がいて、この人がいて、というただそれだけのことだと思うのだ。

世界の中にあなたという個人がいて、喋ったり、働いたり、飯を食ったり、寝たり、排便をしたりしている。

そして、同じように僕も喋ったり、働いたり、飯を食ったり、寝たり、排便をしたりしている。

そして、あの人もこの人も喋ったり、働いたり、飯を食ったり、寝たり、排便をしたりしている。

みんな排便をしている。

それは、今回の論点ではないが、個々人が個々人の暮らしをしているということが言いたい。

つまり、自然状態においては括りや属性や派閥やレッテルといったものは存在しない。

なのに。

にもかかわらず。

僕たち人間というやつは、大人だ子供だ、女だ男だ、LGBTQだ、障害者だと括っている。

そして、なぜか「そうである者」と「そうでない者」との間に溝を作り、分け隔てている。

それが、ハレーションを生んでいる。

本来そんなものはないはずである。

そういったグルーピングというのは、我々人間が勝手に作り出した概念であり、この世に存在してはいない。

「あなた」と「私」という個々人は視認できるが、「大人」と「子供」という概念は視認できない。

つまり、存在していない。

人間の頭の中に、ぼんやりとした抽象的な何かとして漂っているだけである。

そんなぼんやりとしたものを旗印にして、僕たちはそうである者とそうでない者の間で争いをする。

言葉を選ばずに言えば、馬鹿げている、と思う。

言葉を選んで言えば、おかしいんじゃないですか?と思う。

どちらにしても、誰かから怒られそうな物言いになってしまったので、前言撤回する。

つまるところ、この世に存在するのは「あなた」という個人と、「私」という個人であり、それ以上でもそれ以下でもない。

「あなた」を尊重し、「私」を尊重してもらえれば、それで世界は平和なはずなのだ。

この世界は無限億人の「あなた」と「私」でできているはずで、その個々人の尊重し合いが波及すれば、世界は平和になるはずなのだ。

それをなぜか人々は派閥に分けたがる。

「女はこうだからダメなんだ。」

「大人なんだから、こうあるべき。」

「障害者には優しくしよう。」

こういった "括り" を付けた途端に、そうである者とそうでない者が生まれて、その間に争いが発生する。

そうではないのだ。

女だからダメなのではなく、その人個人がダメだというだけの話だ。

大人だからこうあるべきなのではなく、個々人が人間として気をつけることなのだ。

障害者に優しくしようではなく、すべての人に対して優しくすればいいのだ。

なぜ、括らなければならないのか。

もちろん、その理屈はわかって、単純にグループ化したほうが社会生活は送りやすいからだ。

こちらが男子トイレで、あちらが女子トイレです。

入場料は子供100円、大人300円となっております。

障害者の方は給付金がもらえます。

など。

こういった括りがないと、個々人に対して逐一対応しなければならなくなり、たちまち社会は混乱に陥ってしまう。

わかる。

秩序や制度を保つ上では、この属性で分けるというのは非常に効率がいい。

ただ、僕たちが一人一人の人間と相対するときに、効率というのは求められるべきだろうか。

答えは、Noである。

彼女や奥さんと何か意見が食い違ったときに、「これだから女は、、、」と言おうものなら、関係が崩壊してしまうことは火を見るよりも明らかだ。

子供がコーヒーを飲もうとしていたときに、「あんたまだ子供なんだらやめときなさい。」と言おうものなら、子供はむすっとしてしまうだろう。

それは、可愛いかもしれない。

が、当の本人としては嫌な思い出として、記憶に残り続けるだろうと思う。

そういったレッテル貼りを日常生活にまで持ち込むべきではない、と僕は思うのだ。

女だから。

子供だから。

障害者だから。

という理由で何かをしたり言ったりすることなく、その人個人を見て判断すれば、きっと良い関係が築けると思っている。

そして、それをちょっと範囲を広げてあげて、地域や社会やSNSの向こうの人や友達や店員さんや役所の人や……etc.

そのほか無限の人々に対して同じような気持ちで接することができれば、自分の身の回りは平和になっていくはずなのだ。

SNSでは、そうである人とそうでない人の争いが日々繰り広げられている。

正直、悲惨過ぎて見ていられない。

僕たちはそういった世界を望んでいないはずだ。

だとしたら、僕たちにはできることがあるんじゃないか。

あなたと僕がいる。

それ以上でもそれ以下でもない。

そのような心持ちで日々を過ごしていくのは、いかがでありましょうか。

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今野直倫
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