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胸を張って生きられてるか

胸を張って生きられてるか。

常に自分に問いたい、僕にとって大事な言葉だ。

もちろん、僕は出来た人間ではない。

聖人君子なんてわけが絶対にない。

しかし、そうありたいという願望や希望を口にしたっていいじゃないか。

「胸を張って生きられてるか?」

そう自分に問うたときに、胸を張って首を縦に振れるように日々を生きたい。

理不尽な人がいるだろう。

なぜか自分だけが損している気分になることもあるだろう。

気に食わない出来事が起こるだろう。

それでも、自分自身だけは誠実に、適切に、朗らかに生きていたいと思うのだ。

もちろん、毎分毎秒そんなふうにいられるわけではない。

人間だから疲れてしまうと、ついつい感情が出やすくなってしまうこともある。

それでも、家に帰って一人になったときに、そのときのことを振り返れるか。

「胸を張って生きられてるか?」

と自分に問えるか。

そして、その問いに対して素直に、今日は胸を張れるような生き様じゃなかったと反省できるか。

それが大事だと思う。

僕は職業柄、本当に色んな人に出会う。

明るい人、いい意味で大雑把な人、丁寧な人、神経質な人、ガサツな人、控えめな人、変わった人、人見知りな人、失礼な人、優しい人。

日によっては50人、100人の多種多様な人たちと言葉を交わす。

十人十色、とはよく言ったものだなと思う。

考えた人は天才だ。

同じ色なんてなくて、人それぞれ性格や価値観や主義主張が違う。

それだけの人と相対していると、もちろん「この人は自分と合わない」という人が出てくる。

明らかに一方的に失礼だなという人もいる。

バランスを取るために付け加えると、もちろん逆もしかりで、その人柄に惚れ惚れするような素晴らしい紳士淑女の方もいる。

あっぱれ、をあげたくなる。

座布団、を持っていきたくなる。

スーパーひとしくん人形、をあげたくなる。

このーきなんのききになる、きになるき〜

という音楽が不意に頭に流れ出したが、きっと気のせいだろう。

とにかくいろんな人がいるという話だ。

そして、自分に合わない、明らかに失礼だ、という人がいても、それは僕の価値判断でしかなくて、ある人にとっては良い人であり得る。

そういうことだ。

だから、「この人、明らかにおかしいだろ」と思っても、非難、批判するべきではない。

それは、僕という審判にとってはボール球であるが、ある審判にとってはストライクであり得る。

イチローがボール球を見送ったときに、球審がストライクを宣告し、「ベースの外側を通っただろ!」とバットでボールゾーンを指し示したら退場になった、という逸話がある。

側から見るとイチローがいちゃもんを付けたようにしか見えなかったのだが、映像を見ると確かにボール球のように "見える" のだ。

もしかしたら、他の審判ならボールとコールしたかもしれない。

しかし、そのときの審判はストライクと判定をしたのだ。

これはもう人間の判断なので、ボールでもストライクでも仕方がない。

人の良し悪しも同じで、いい人悪い人というのは一面的ではなく多面的で、人によって判断が異なるものだ。

だから、安易に否定してはいけない。

そして、僕はそのような態度でありたくないのである。

もし、僕が僕の感情に任せて「こいつは悪いやつだ!」と決めつけてしまったら、僕は胸を張って生きられない。

ああ、あのとき僕は適切な態度じゃなかったなと後ろめたい気持ちになってしまうからだ。

もちろん、人間だから実際のところそういうことはある。

でも、家に帰って一人になったら「なんであんな態度をとってしまったんだろう」と反省する。

これは決して僕が "いい奴” だからではない。

なぜなら、僕は相手に悪いと思って反省をしているのではなく、自分の在り方について反省しているからだ。

言うなれば女の子とデートをして家に帰ってふと鏡を見たら、歯に青のりが付いていて、「うわぁ!俺、超絶ダセェ……!」と頭を抱えているのと同じなのだ。

別に歯に青のりが付いていたところで、相手の女の子を傷付けたりはしないだろう。

ただただ自分が格好悪くて情けない、そういったことに苦悶しているのである。

だから、「胸を張って生きれているか?」という問いは別に何も誇れることではない。

自己満足である。

でも、人生というのは結局のところ自己満足なんだと思うのだ。

どんなに社会的に功績を上げても。

どれだけお金を稼ごうとも。

世界中の美女にモテまくろうとも。

最終的には自分が死ぬときに、胸を張って死んでいけるかということだと思う。

それが、自分の人生に対する通知表だと思う。


ところで僕は今日、店のアイドルタイムに買い出しに出たのだが、一匹の黒猫を見かけた。

白雪の中にくっきりと浮かぶ黒猫。

早く店に戻らねばと駆ける僕を横目で見て、しゃんとして、じーっとしていた。

たぶん、あいつは死ぬときに「胸を張って生きられていたか?」なんて考えていない。

こんなふうに自分の人生に悩んでいるのは、たぶん人間くらいなんだろう。

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今野直倫
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