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本物の定義

僕は、本物でありたい。

そして、本物である人に興味を持つし、本物である人と仕事をしたいし、本物である人と付き合いたい。

付き合いたいというのは、別に男女関係というわけではなく人間として。

本物である人と関わっていたい。

本物である人を尊敬している。

例えば、元メジャーリーガーの鈴木一郎氏。

例えば、B'zの稲葉浩志氏。

例えば、詩人・童話作家の宮沢賢治氏。

ジャンルは全く違うが(宮沢賢治氏については時代も違うが)、この三人は僕の中で本物の中の本物だ。

この人たちの言葉や作品やプレーに触れると、そこはかとなく「本物だ」という感じがする。

有名だとか無名だとかは関係ない。

対面したときに「この人は本物だ」と感じる人が、ときたまいる。

中学校の時の野球チームの監督、大学院時代の恩師、そして仕入れ先である農家さんなど。

出会った瞬間に「この人は本物だ」と感じ、そして付き合っていけばいくほど「この人は本物だ」という感覚は強くなっていく。

確信に変わっていく。

僕にとって "本物" とはいったいなんなのか。

上でも挙げたように、実績だとか功績だとか、世の中にどれだけ貢献したかとかは全く関係がない。

言ってしまえばホームレスでも本物であり得るし、フリーターだって本物であり得る、主婦さんだってそうだ。

本物とは記録ではなく、数字でもなく、その人の中身だ。

もっと言ってしまえば、精神であり心だ。

心から言葉から行動から作り出すものから、すべてが一本の槍で貫かれ一直線に並んでいる。

全てにその人の精神の根幹のようなものが貫き、そこから枝葉のように血脈が張り巡らされ、それが言葉となり作品となる。

そういった人のことを本物と呼んでいる。

言葉にも行動に、その人の心や精神の本物が染み込んでいて、まったく嘘がない。

本物とは、その人の心や精神に嘘のない人のことだ。

嘘や後ろめたさや欺瞞や詭弁。

そう言ったものが一切なく、純で、どこまでも透き通っていて、それでいて矛盾するようだが混沌である。

そう言った底の見えない深みがありながら、シンプル。

そう言った人のことを僕は本物だと感じる。


鈴木一郎氏の現役時代から今に続く行いや活動の全ては、まさに本物だ。

現役を引退した今も高校球児の指導や女子野球の地位向上に関する活動は、彼の心や精神の表れだと感じる。

心や精神が一点の曇りもなく現れているという気がする。

現役時代の素晴らしい記録やパフォーマンスではなく、むしろ現在の活動こそが彼の野球人たる志や矜持を物語っていると思う。


稲葉浩志氏の歌詞に紡ぎ出される言葉の数々は、まさに本物だ。

彼もまたB'zとして「ハリウッド・ロック・ウォーク」にアジアのアーティストとして初めて殿堂入りするなど輝かしい記録を残している。

しかし、彼の本物たる所以は去年還暦を迎えた60歳まで詞を書き続け、歌い続けてきたことにある。

本物は自分の心に嘘がないからこそ、時代や流行に関係なく残り続ける。


宮沢賢治氏の描き続けた、彼の童話世界はまさに本物だ。

彼が数々の作品に通底する世界として描いた理想郷である「イーハトーブ」は、彼の精神世界そのものを表している。

彼の作品には彼の精神が、心が、屈折せずそのまま真っ直ぐに世界として表されていて、我々はその世界にすっかり魅了される。

本物だからこそ時代を超えても、その時代時代の人々の心に深く刺さる。


彼らに通底するのは、彼らの活動はきっと打算によって続けられたものではないということだ。

鈴木一郎氏は子供時代に友達付き合いや遊びの一切を捨て、プロ野球選手になるために練習に勤しんだそうだ。

誰が計算によってプロ野球選手になれるのか。

そう言った不確定な未来に対して、自身の人生の大半をベットすることができるのは、本物だからとしか言いようがない。

彼らは成功したから本物なのではない。

本物だから成功したのだ。

そしてきっと彼らは成功したことにはあまり興味がなく、彼らが彼らであること、それに命を燃やしてきた人間なのだと思う。

そういう意味では路上ライブをし続けている売れないミュージシャンも、僕にとっては確実に本物だ。

尊敬する。

かっこいいと思う。

売れている売れていないではなく、そこに彼らの本物の魂を見るから、僕は感動ち打ち震えるのである。


僕は本物でありたい。

売れるとか売れないとかに左右されず。

時代や流行に流されず。

他人や社会の言葉に惑わされず。

僕は "僕という本物" であり続けたい。

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今野直倫
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