皮膚と心を蝕む病気
大塚篤司さんという皮膚科専門医といっしょに、アトピーの本を作った。
ものごころついた頃から、ずっと、アトピー性皮膚炎に悩まされてきた。
自分の症状は、おもに両の手のひらだった。地割れのようにパックリ皮膚が割れる。薬を塗ると一定期間おさまる。しかし、またすぐ悪化する。
その円環の上を30年以上回ってきた。
最初は、こんな感じで始まる。ピリッと痛い。
乾燥した冬の時期になると、こうなる。
めちゃくちゃ痛い。どこがどう痛いのかわからないほどに。
少年野球は1番センターだった。足は速かった。生涯盗塁成功率100%。あだ名は「馬」だった。生涯打率は.496。練馬のイチローと言われていた。今は出版界のレーニンと呼ばれている。見た目の問題だ。共産主義者ではない。どうでもよい。しかしアトピーはどうでもよくない。ライナーを捕球するとジンジン痛む。バットのグリップを強く握れない。インパクトの瞬間に皮膚がズレるように割れて血が吹き出る。
小学生は無邪気で残酷で、「うわ、お前の手キモっ!」とかよく言われた。性格がキモいと言われるのは今も昔も大歓迎であり、面と向かって言われる「キモい」はその他大勢から少しだけ逸脱している証拠なのだが、いまその話はどうでもいい。だが、皮膚に関しては望んでそうなっているわけではないから、まあ、それなりに傷ついた。
思春期になって恋人ができたとき、割れた手で相手の肌に触れることに引け目を感じていた。手をつなぐことに抵抗があった。「冬が寒くってほんとによかった 君の冷えた左手を 僕の右ポケットにお招きするための この上ないほどの理由になるから」(BUMP OF CHICKEN『スノースマイル』)的なことができない。割れた部分から浸み出る体液が相手の肌に触れるのは絶対にイヤだった。泊まりになるとわかっていても、気になるのは爪の長さよりもアトピーの具合だった。
学生時代に大戸屋のホールで5年間バイトしていた。水仕事は強烈に皮膚を刺激するし、客にも不衛生に思われてしまうから、悪化するとバイトを休まなければいけなかった。休憩室で突然社員にアム●ェイに勧誘された。いま何やってんだろうあの人。
試験の時なども、浸み出す体液で解答用紙が汚れてしまうのも困った。 わたしは浪人した時のセンター試験でインフルエンザに罹り、背水の陣で早稲田本試験に臨んだ。
しかし、アトピーのキツさは「痛み」だけではない。
わたしにとってのアトピーは、むしろ「かゆみ」との終わりなき戦いだ。
不意に、めちゃくちゃかゆくなる。突発的にじんましんのようなかゆみが押し寄せ、掻かずにいられなくなる。そして残酷なことに、「かゆいものを掻く」というのはめちゃくちゃ気持ちいいのだ。ひっかく。爪を立てる。タオルでくるんで指の腹で押し潰す。瞬間的にかゆみがおさまっていく過程は、もはや他で得難い快楽だ。
当然ながら、掻けば患部は悪化する。強く掻きむしった後は薬を塗っても数日血が止まらないこともある。それを見ながら掻いたことを後悔し、自己嫌悪に陥る。夜中にかゆくなり、知らぬ間に掻いてしまうと、起きるとシーツに血が滲んでいる。しかし、またかゆくなり、掻き壊す悪魔のような自らの手が患部に伸びるのを止めることができない。
わたしは、「掻く」という麻薬に冒された中毒患者のようだった。
つまり、わたしにとってのアトピーの悩みは、
「とにかくかゆい。そして痛い」
「やりたいことが満足にできない」
「外面的な引け目を感じる」
ということに集約される。
そして、大人になった今もそれは続いた。困ったことにむしろ悪化していて、症状が全身に広がってきた。アトピーは慢性をたどる病気で、「完治」することが難しいとも言われる。まあ一生付き合っていこうぜアトピーくん、とは思っていた。しかしこれ以上悪化すると生活に支障をきたすので、改めて本気で治療法を検討することにしたのだ。だからこの本は、自分のための本だ。
そして、「皮膚疾患」関連の一般医学書コーナーに行ったり、ネットを検索している中で、衝撃を受けた。
「普通に治す本」がないのだ。
「油を断てばいい」
「アトピーを治す水がある」
「山にこもって修行すれば治る」
「アトピーに効く化粧品がある」
「保湿はやめろ」
「ステロイドは悪魔の薬」
「経皮毒」
……いや、そうじゃなくてさ。
アトピーって皮膚疾患だよね?
アトピーの治療法って、医学だよね?
なのに、「医学的に正しい」と言えそうな本がほとんどない。
何これ? どういうこと?
社会的な問題だった。
色々情報を集めていると、わたしの症状は「軽い」ほうだと知った。
雨宮処凛さんの本に『アトピーの女王』という名著がある。彼女は活動家である前に重度のアトピー患者で、あらゆる治療法を試しては裏切られ、それでも自分にあった治療法を探し求める苦闘の記録がコミカルに記されている。
比較問題ではないが、全身湿疹だらけになり、包帯を巻いて眠っても知らぬうちにかきむしって全身ジュクジュクの血だらけになったり、目の周りを掻きすぎて若くして白内障になってしまった人の苦しみはわたしの比ではない。
そもそもアトピーは、その病名が「奇妙な」という意味のギリシャ語「atopia」に由来している。「アトピー性皮膚炎」というのは、「よくわからない系の皮膚炎」なのだ。それほど正体がわかりにくく、実は皮膚科医が「アトピーだ」と診断することすら難しい場合もあるという。
今回わたしが作った本のタイトルは、『世界最高のエビデンスでやさしく伝える 最新医学で一番正しいアトピーの治し方』だ。「エビデンス」とは、「医学的根拠」だと思ってもらっていい。「医学的根拠に基づいたアトピーの正しい治し方」は、第4章から始まる。
本の目次をすべて公開する。
なぜ、「世界最高のエビデンス」だとか「最新医学で一番正しい」だとか、ものものしい言葉をわざわざ使ったか。なぜ、序章から第3章までを「正しくない治し方」の話に割いたか。それは、われわれ一般のアトピー患者が触れる情報は、「正しい情報」と同じくらい「間違った情報」に溢れているからだ。「間違った情報」に踊らされ、症状を悪化させてしまう患者が多くいるからだ。
著者の大塚篤司さんは、皮膚科専門医だ。目次の序章から第3章を見てもらえれば、どれほどの覚悟を持ってこの本を書いたかがわかると思う。専門家としてのキャリアを賭けて、今言える限りの医学的根拠を持って、何が正しい治療法で、何が間違っているのか、その根拠とともにやさしく解説してもらった。
わたしは、この本で、アトピー患者と主治医の間で対話が生まれるきっかけになってほしいと願っている。「自分にとって最善の治療とは何なのか」を、本に書いてある情報を元に、主治医とともに探り当ててほしい。
医者と患者は人と人であり、本来、「病気を治す」という目的にベクトルを合わせて並走するパートナーだ。しかし医療は、総じて医者と患者の間に知識や認識のギャップがありすぎる。だから医者は医学的知識を、患者は自分自身の症状の変化を提供しあう必要がある。ただでさえ難しいアトピー治療で、「正しい情報」を交換しあえなければ、快方に向かうことはさらに難しくなる。医者と患者が罵り合っていても、いいことは1つもない。
医者は、自分が気持ちよく生きるために、自分の体をメンテナンスしてくれるプロ技術者だと思えばいいのではないだろうか。病気になってしまったことは「悪いこと」ではない。「申し訳ありません。体調を崩してしまいました。治してください」とへりくだる必要はない。もちろん、偉そうにする必要もない。もしあなたの愛車が壊れたとき、整備士に「申し訳ありません」という人はいないだろう。快適なカーライフを取り戻すために、必要な情報を交換しあい、整備士から的確な技術を引き出し、対価を支払うだろう。医療だって、それでいいと思うのだ。
わたしは、この本に携わったおかげで、信頼できる医者を見つけ、かゆみをコントロールし、生活習慣を見直し、正しい薬の用法と用量を知った。久しぶりに、「保湿剤を使うだけ」で、快適な肌で年を越すことができそうだ。
この本で、すべてのアトピー患者が快適な生活を送れることを願って、来年1月29日、この本を世に出す。
最後に、この本の「はじめに」の冒頭を引用する。
「はじめに」より----------
あなたは、今、どんな立場でこの本を手に取っているだろうか。
湿疹ができて皮膚科に通い始め、治療方針に迷っている人だろうか。
幼い頃から、全身の湿疹に苦しみ続けてきた人だろうか。
ステロイド外用剤を使用していて、いつかは完治させたいと思っている人だろうか。
ステロイド外用剤以外の、いわゆる「民間療法」を実践している人だろうか。
自分のお子さんがアトピーにかかり、悩んでいるお母さんお父さんだろうか。
あなたの大切な人がアトピーに悩んでいて、助けてあげたいと思っているだろうか。
安心してほしい。
そのすべての人に向けて、ぼくはこの本を書いた。
あなたは、アトピー患者として、これまでどんな悩みを抱えてきただろうか。
「肌が汚い」などと、周囲の人の心ない言葉に傷ついてきただろうか。
かゆみで夜も眠れず、眠れてもかきむしって体がボロボロになってしまっただろうか。
化粧や肌を露出させることができず、引け目を感じてきただろうか。
洗い物や洗濯をすると症状が悪化し、日常生活に支障をきたしているだろうか。
あらゆる治療法を試してきたのに一向によくならず、医療に絶望しているだろうか。
そのすべてを諦める前に、どうかこの本を読んでほしい。
切実な悩みを抱える人が読むことを前提に、
ぼくは、覚悟を持ってこの本を書いた。
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