写真は「たった1つの事実」を写さないという話
漫画家の大島弓子が井の頭公園にいた象のはな子をずっと見ていたみたいに、10年くらい見続けてる馬がいます。26歳を越えた牝馬で、人間で言えば90歳くらいのおばあちゃんだそうです。わたしが見た小屋での5分間は一歩も動かず、晩夏の強い日差しを受けていました。現実の世界から少し浮いたところを見ているような神々しさがあります。
同じ動物園に、かわいいのですが図体が大きくて、若くて少し気性が荒く、他の馬を押し退けて餌を分捕るようなやんちゃな馬がいます。こちらも牝馬ですがガキ大将的で、「変に刺激するとこっちも危ないかも」というちょっと不気味なざわつく印象がある馬です。
さて、わたしは今「神々しい」とか「不気味な」などと書きました。その印象を受けたからこそ、わたしはこの2頭の馬を撮りました。受けた印象が撮った動機そのものです。
しかし、そんな印象は、どう考えてもわたしの勝手な独断です。それってあなたの感想ですよね、はいそうです、という感じです。この写真に写っているのは「ありのままの馬の姿」などではなく、わたしの偏見そのものです。
そう言い切れる理由を、「撮り方」と「現像」の過程を示しながら書いてみます。
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